母と過ごした過去に浸っているエアリスを、クラウドが現実へと引き戻す。
「巫女とは覚醒しなければ、その力は発揮できない」
「だからエアリスも、巫女の才は持ってはいても、さっきまでは本当の巫女じゃなかったんだ」
でも、
「エアリスが巫女として目覚めたのは、オレにも伝わってきたよ」
同じセトラの血を持つ者同士の成せるワザか。
確かにあの時、エアリスの覚醒はクラウドにも伝わってきたのだ。
「よくやったね――エアリス」
初めて、クラウドから対等のセトラとして扱われた瞬間だった。
エアリスは有頂天となる。
「クラウド。…わたし」
喜びを語ろうとするエアリスを、クラウドはそっと制する。
そして握っていた手を持ち替えて、歩くように促したのだ。
手を繋いでくれるなんて、随分久しぶり。エアリスはクラウドの手をじっと見つめる。
男にしては、特にセフィロスと比べると小さいのだろうが、少女の手を包むには充分だ。
大剣を自在に振るうのだとは信じられないほど、荒々しくないきれいな手は、指先まで整っている。
どこか夢見心地のエアリスは、素直にクラウドの後に従っていく。
ルビーウェポンの残骸のひとつで、クラウドは止まった。
丁度頭部に当たるところだ。細長い不安定なシルエットは、よく覚えている。
遭遇して初めて目にした時に感じた禍々しさは、この残骸にはない。圧倒的な威圧感もない。
奇妙なオブジェとしか感じられないのが、やはり不思議だ。
ルビーウェポンの頭部だったモノを眺めながら、クラウドが口を開く。
「ウェポンは星が作った凶器」
「星の意志に従い動く人形」
つまり、
「ウェポンは星にもっとも近い…星の申し子とも言える」
古代種の神殿で見た過去について、まだエアリスに話していない。
セトラの死が残酷すぎて、セトラとしては子供の範疇にあるエアリスには話せなかったのだ。
もしエアリスが過去を知ってしまったとしたら、巫女への覚醒を閉ざしてしまうおそれがあるのでは。
エアリスの母イファルナは、最後まで巫女への覚醒を拒絶したまま死んでしまった。
母と娘、二代続けて覚醒しないままでは、セトラの巫女は本当に失われてしまう。
星の意志に従うウェポンが世界の敵となっている今、巫女は絶対に必要。
巫女でなければ、星の声は聞こえないのだから。
クラウドはこう考えて、話さないことにした。話すのは、エアリスが巫女として覚醒した後でも良い、と。
手を繋いだままの少女は、確かにルビーウェポンとの戦いによって成長しているようだ。
護られているだけ。甘えるだけの受け身の立場から、一歩先に進んだ場所にいるように思える。
エアリスがセトラの宿命を受け入れて、祈りを捧げようとしたのを、クラウドは離れているのに感じた。
巫女となった少女の緑の瞳は、古代種の神殿で見た、あの巫女と同じ。
「エアリス――目を閉じて」
少女は素直に従う。
クラウドが自分にとって悪いことなど絶対にしないと、信じきっている。
「何か、聞こえるか?」
顎をあげて、耳を澄ませて。
やがて、少女はゆっくりと首を横に振る。
答えはNO。何も聞こえない。
「そうか。ならば――」
握っていた少女の手を、残骸となったルビーウェポン頭部に置いた。
砂のついた表面は、ひんやりとしてザラリと乾いている。
「エアリス――祈ってごらん」
「祈る?」
「さっきルビーウェポンと戦っていた時、君は祈っていた」
――思い出してごらん。
――祈り?
――思い出す?
あの時見た、幻の中にいたセトラはなんと言ってた?
石造りの神殿の祭壇にいた。あれが巫女とするならば――
目を閉じる。
エアリスは祈った。
「アースよ」
アースよ。
星よ。
「あなたの声を、お聞かせください」
石造りの神殿で祈りを捧げていた巫女を、記憶にあるがままになぞる。
不思議なことに、瞬間過ぎった幻でしかなかったのにも関わらず、巫女の動作の細部にまでが、我が事のように浮かんでくるのだ。
まるで、幼い日より毎日やり続けていた習慣のように。
己の口から出る祈りの言葉は、とても自然で滑らかだ。
五感のみならず、セトラとして備わっている感覚さえも、全部祈りへと傾ける。
どれほどの時間、そうして祈っていただろうか。
冷たく硬いウェポンの残骸が、急に温度を持った。
残骸の奥底から、いや、実際にある残骸よりも、もっともっと奥深いところから、温度が浮かび上がってくるのが、クリアに感じられる。
温度はやがて残骸の表面までやってきた。が、そこでは止まらない。
奥底からやってきた温度は、そのまま意志を持っているかのような動きで、エアリスの手までやってきて、絡みついてくる。
そしてそのまま、じわりと手に染みこんできたのだ。
――っ!
パン。と派手な音は頭で弾ける。
頭の中で膨らませた風船を、一突きに割ったような。
グワワワン。頭の中で振動が起こった。
振動は頭から身体全体へと広がっていく。
そうしてエアリスは視覚ではなく、脳で、いくつもの光景を見る。
それは意志だ。
同時に、力でもある。
本能に近い、原始の力。
原始の意志。
――これが星の声?
だとすればなんと単純なロジックなのだろう。
まるで言葉も知らない。伝える術は泣くだけしかない、赤子のようだ。
エアリスはもっとよく見ようと、更に強く意識を注ぐ。
その瞬間、エアリスの脳に映った映像をなんと形容すれば良いのか――
エアリスは、とても大きな樹を見上げている。
ただしその樹は、エアリスの知る樹とは似ても似つかないものだった。
普通の樹ではない。全てが石で出来ている樹。
これを樹と呼んでよいのか、後から考えれば悩むところだが、少なくともエアリスにはこれが樹に見えたのだ。
石で出来た樹の構造は複雑だった。ひとつの大きな巨石から出来ているのではない。
いくつかの石が重なり合って、天高くへと積み上がっている。エアリスの見る限り、高さに果てはない。
――ヘンだ…
普通モノを高く築き上げるのには、土台をしっかりとした大きく安定性のある重いもので造る。
高ければ高いほど、大きければ大きいほど、積み上げられていく重量を土台で支えなければならないからだ。
そのくらいのこと、世間知らずのエアリスでも知っている。
それがこの樹の土台は、とても小さな石の集まり。つまりは砂だった。
砂は固められているのでもなく、さらさらと音を立てて崩れ落ちているではないか。
その不安定で今にも崩れそうな砂を土台として、大きな石が、しかも大きさも整えられず揃えもされないままランダムに、不規則なまま積み上げられているのだ。
現実世界ならば有り得ない光景に、エアリスは本能的におののき、後ずさりしてしまう。
しゃり、と土台から流れた砂を踏んでしまった。踏んだのが悪かったのだろう。砂はエアリスの足下へと流れ込んでくる。
さらさらした砂ではあるが、足をすっかりととられてしまった。
――これが、星の声だとしたら…
――星は…壊れてるの?
脆い土台の上に高く積み上がっている、石と砂で出来た樹とは、どういう意味なのだろうか――
と、足が滑る。
「きゃっ」
砂に足を滑らせてしまったエアリスは、頭から石の樹に突っ込みそうになった。
――ダメ!
本能が恐怖する。
この石の樹に突っ込むだなんて、絶対にしたくはない。
エアリスは踏ん張るべく、手を伸ばす。
偶然手がふれた石の窪みに指をかけると、ようやくバランスをとることが出来た。
体勢を立て直した時、ふと見てみると、手に小さな石を掴んでいるではないか。
きっとさっき手にかけた石の窪みから取ってしまったのだろう。
――この石って…
普通の石ではない。キラキラと輝いている。
指で挟んで翳してみると、なんだか向こう側が透けて見えそう。
――何かの、結晶かな?
まじまじと観察していると、いきなり石が弾けてしまう。
石の内部にあった、目には見えない形のない何かが、エアリスの頭に入ってくる。
――あっ!
それは怒りだ。
そして苛立ちでもある。
そこに寛容はない。
ただ己の意志を辺り構わず貫き通そうとする、身勝手な頑固さ。
突き詰めてみると、思い通りにならないからと言って癇癪を起こしている幼児そのものだった。
――わたし、これ、知ってる。
デジャヴを覚えてしまう己に、エアリスは息を詰める。
――これ……母さんだ。
母の全てではない。もちろん違う。
だが、母の一部だけだと過程して考えてみるならば、とてもよく似た親近感を強く感じるのだ。
クラウドの父と結婚したがっていた母。
自分での実現が不可能ならば、子の世代を結ばせようとしていた母。
巫女の血を持ちながら、祈ろうとしなかった母。
ガストという夫を持ち、エアリスという娘までもうけたのにも関わらず、イファルナは母親らしいとも、妻らしいとも言えなかった。
夫にも娘にも、自分の我が侭な夢を押しつけようとしていただけで。
特にエアリスに対しては、その傾向が強かった。
そう――どうして母が自分の果たせなかった事を押しつけようとしてくるのか、エアリスはずっと理解出来ずにいたのだが…
今、わかった。
イファルナは自分が産んだ娘を、自分の分身に見立てていたのだ。
エアリスという名のイファルナ自身。イファルナの一部――それが自分の娘の役割。
個人として独立した人ではない。
あくまでも自分の分身であり、分裂したパーソナルでしかなかったのだ。
ここが…今エアリスが感じる星とよく似ている。
星の持つこの怒りは、イファルナがエアリスに押しつけていたエゴイスティックさとよく似ているではないか。
――わたしは、わたしなのに…
イファルナにとってはそうではない。最後まで母は娘を認めてはいなかった。
己の産んだ分身が、クラウドと結ばれるのを夢見ていた。
星も――そうではないのか。
己の考えをセトラに押しつけようとしていたのだ。
セトラに星以外を受け入れさせたくはなかった。
だから、己の意志に反した行動をとったセトラに怒りをぶつけたのだとすれば――
確かに星は、この星に住む生き物たちの母であると言えよう。
星があらゆる生き物たちを育んできたのだから。
星も母。
イファルナもエアリスの母。
だとすれば――母性とはなんとエゴイスティックなものなのだろうか…
星はセトラの自立を認められないままに狂っている。
狂った理由の、本当のところは解らないが――それは星がジェノバ降臨の際、己の手でセトラを惨く滅ぼそうとしたのと、今も尚セトラの生き残りを、そしてこの星に生きる全ての生物たちをウェポンを使い攻撃している現状が深く関わっているに違いない。
星はセトラを愛していた筈だ。イファルナがエアリスを愛していたように。
だがそのセトラを己の手で惨く殺した。逆らうセトラをどうしても許せなくて。その憎しみは長き年月を過ぎても和らぐことなどなく、セトラの血を抹殺しようとしている。
愛と憎しみ。いや、愛から産まれた憎しみ。
この相反する二つのエゴが星を狂わせたのか――
どういう理由が隠されているのにしろ、この樹こそが星が狂っている証だ。
砂を土台にしてだんだんと大きな石を積み上げていき、樹を高く高くしようとしている。
もろい土台ではなにも出来ないのに。土台とされた砂は、この通り崩れてきているのに。
それでも星はこの樹を高くするのを止めようとはしていない。
星が狂っているのならば、
――母さんも、狂っていたのかな…
エアリスは母親ではない。
母性というものがどういうものなのか。
何故そうなってしまうのか――解らない。
だが、エアリスもいつかは母となる日が来るのだろう。
とすれば、
――もし…
――今のままのわたしが、母親になったとしたら…
夫がクラウドであったとすれば、問題はないのだろうか?
――いいえ…わたし…
――クラウドと結婚しても、セフィロスがいる限り、安心なんて出来ない。
二人の強い結びつきを知ってしまったのだから。
かと言って、セフィロスがいなくなれば良いのかと考えてみると、
――ダメだわ。
いなくなったらいなくなったで、セフィロスの存在は重くなるに違いない。
しかし、クラウド以外を夫として、子をなしたとすれば――母のように。
――わたし、きっと母さんと同じこと、する。
エアリスも子供に言い聞かせるのだろう。
クラウドへの想いを。
クラウドと結ばれたいと。
そして――己の我が侭な夢を託すのかも…
石の樹を見上げて、その果てを望む。
どれだけ目を凝らしても、この砂の土台に建つ石の樹に答えはない。
この樹は、星の、イファルナの、そしてエアリスの、エゴの象徴になるのだ。
少なくともエアリスにはそう思えてならない。
人は皆、なにかしらの痛みを抱えて生きるのだと言う。
エアリスが抱き続けるのは、エゴイスティックな――わがままな痛み。
EMD