カームで本格的な旅支度を調えてから、二人はジュノンへと向かう。
距離は無駄な遠回りになるが、ジュノンはこの大陸における交通主要都市なのだ。空路もあるし海路もある。便数も豊富なので、旅行客には手軽なのだ。
ジュノンから、コスタ・デル・ソルへ。
そこからアイシクルロッジへと向かうつもりだ。
元よりザックスはわざと時間を掛け、遠回りさせるつもりでもあった。
なるべく時間をかけて、ゆっくりとした移動を繰り返す。その長い道程の間にエアリスはきっと冷静になるだろう。
クラウドへの想いを〜ザックスからすれば、恋愛というよりも、憧れと甘えが大きいものだが〜昇華してくれるだろう、と。
こんなザックスの心中を知ってか知らずか。エアリスは大泣きをしてから、かなりスッキリした顔となっていた。
アイシクルロッジにいる父親に会いたい――という考えは変わらないものの、言動はかなり普段通りのエアリスに戻っている。
ジュノンまでの道のりで、デイトナの後ろに座りながら、エアリスは自分について話してくれた。
母イファルナはセトラだ。最後の純血セトラ。
彼女は神羅の科学者を夫とする。夫の名はガスト。今は化学部門統括の地位を宝条に譲っているが、神羅を大企業に押し上げた魔晄エネルギー研究の第一人者だそうだ。
「お父さん、優しい人」
エアリスの幼い頃の思い出話の中で、ガスト博士は優しさの象徴だった。
母であるイファルナについては、かなり複雑な感情を抱いているのとは対照的で、父親については本当に優しく穏やかな思慕しかない。
一人娘であり、しかもハーフセトラとしてエアリスは大切に育てられたのだ。
ところが母イファルナが亡くなると、ガストは幼い娘を置いてミッドガルを離れる決断をする。
だがそれこそ、娘の為、セトラの血を引くエアリスの為であったのだ。
「わたし、ミッドガルから離れられないから…」
星の動向を。ウェポンの研究を。セトラという種の役割を科学的に紐解くために、ガストはアイシクルロッジに行かねばならない。
そこで幼いエアリスを知人であった信頼出来るエルミナに託す。
すでに夫を亡くし、子供のいなかったエルミナは、喜んでエアリスを我が子とする。
こうしてガストとエアリス父娘は、長い間離れて暮らしてきたのだ。
「父さん、手紙、くれるの」
数年に一度だけしかミッドガルに戻って来ないガストは、娘にたくさんの手紙を綴っていた。
北の最果てとなるアイシクルロッジとの遣り取りは、今の時代も手紙が主である。
例え遠くに離れて暮らしていても、ガストは娘との絆を大切に築き上げる努力をしているのだ。
亡くなった母は、同じくセトラの末裔であるクラウドと結婚するのだと、今際の際まで言い続けて死んでしまった。
エアリスは何より、クラウドと結ばれることこそが、セトラの血を引く己の責任なのだと、強く信じ込んで生きている。
そのクラウドが、自分を受け入れてくれないとしたら…エアリスが頼れるのは父親しかいない。
セトラのこと。母のこと。エアリス自身のことや、クラウドとの関係も、一番信頼している父に会って話したい。
エアリスがガストに会いたがるのは当然なのだと、ザックスは思い知らされてしまう。
自分自身を当て嵌めてみると――故郷を捨て去った訳ではないが、神羅に入りソルジャーになると定めた時、故郷もそして両親も随分遠くに過ぎ去った。
後悔などもちろんしていないが、やはりエアリスを見ていると少し寂しくなる。
――久しぶりに手紙でも出してみるか…
などとらしくない感傷に浸りつつも、ふと気に掛かることがある。
会話を楽しめるくらいのスピードをキープしつつ、ザックスは訊ねてみた。
「なあ、エアリス?」
「なに?」
「どうしてエアリスはミッドガルから離れられないんだ?」
正直、よく解らない。
セトラの末裔であるエアリスを護るためだろうか…
いや、タークスを護衛につけるのならば、むしろ人の少ない、人の出入りのよく解る田舎の方が警戒しやすいだろうに。
幼い子供をわざわざ父親と離してまでして、他人に預けるようなややこしい真似などする必要があるのだろうか。
どうしてもミッドガルで、神羅が護衛しなければならないのならば、いっそのこと本社ビルで暮らせば良い。
もしくは神羅幹部のようにセキュリティの密な場所に、エルミナ共々暮らせば良い。
大都市ミッドガルのスラムといえば、テロリストからおかしな宗教かぶれまで不特定多数がのさばる場所だ。
そこでエアリスが暮らすのを許しているということは、24時間年中無休で、完璧にガードしなければならないというのではないのだろう。
とすると――エアリスが“ミッドガルにいる”という点がポイントなのか…?
そうとすれば、ミッドガルを出てしまっている現在の状況とは――?
エアリスはぽつりと、
「…ウェポン」
「は?」
ウェポン――この言葉には聞き覚えがある。
「ウェポン。星が作った、怖い凶器」
「クラウド、何度もウェポンに襲われたの」
「セトラの血を持つ者、狙っているみたい」
それで、
「わたし、ウェポンから隠れるために、ミッドガルにいるの」
「ウェポン、ミッドガルにはやってこないから――」
――ちょっと待ってくれ!
荒っぽいブレーキングで、デイトナを停止させる。エンジンを止めると、エアリスの腕を引いて、バイクから降り立った。
上体を折り曲げて、エアリスと視線を合わせる。
「それって――…」
「エアリスがミッドガルを出たら、ウェポンが襲ってくるってことか!?」
ウェポンってのがどんな化け物なのかは知らないが、いくらソルジャーでも一人ではヤバいだろう。
しかも単純に戦うだけではなく、ターゲットとされているエアリスを護らなければならないなんて。
一気に緊張が増すザックスに、当のエアリスは不思議そうに小首を傾げる。
その小鳥のように可愛らしい仕草が、彼女の幼さ故の無知を印象づけた。
「大げさなだけ――」
「そんなコト、ないよ」
ミッドガルから一歩も出ないままで、ウェポンの脅威を実際には知らないままのエアリスは、危険というものが実感としてないのだ。
こういう人間を、ザックスはよく見てきた。
戦いが日常にはない者は、危険に直面してもどこか他人事のままだ。
こればかりはどれだけ言い聞かせても、実際に己の肌で危険の恐ろしさを知るしかない。
だが、今はそんな悠長なことはしていられないのだ。
ザックスはおもむろに、止めていたバイクの進行方向を変える。
「どこ行くの?」
「ミッドガルに戻る」
「なんで!?」
「危険だからだ」
愛嬌あるザックスはすでにいない。
今デイトナを運転しているのは、1stソルジャーザックス。
「そんな…」
尚も反論しようとするエアリスを、ザックスは戦士の気迫で遮った。
「死にたいのか。エアリス」
言葉よりもザックスの気迫に押されてしまう。
命と命の遣り取りを、自らの血を流し、それ以上の他者の血を流させて、そんな日常をくぐり抜けてきたソルジャー相手に、ぬくぬくとぬるま湯で包み込まれて生きてきたエアリスは、勝てない。勝負にすらならない。
エアリスはすっかりと青ざめてしまう。
指先に血の気がなくなっていくと言うのに、鼓動だけはやけに五月蠅い。
トクトクトクトク――
心臓が激しく動いている。
ポンプである心臓が動くたびに、動脈から押し出された血液が、身体を循環して、今度は静脈を巡って再び心臓へと戻ってくるのだ。
その音が、やけに五月蠅くて…エアリスは両手を胸に当てる。
――違う…
心臓が五月蠅いんじゃない。
足が勝手に動く。エアリスは小走りになるとデイトナから離れ、辺りを見渡す。
何かが――やってくる。
瞬間、エアリスの本能が警報を鳴らす。
「ザックス!」
叫ぶのが精一杯だった。
――来る。
――来る…
とても大きな、実体ではない“目”がエアリスを探し当てた。
押し潰されそうなプレッシャー。
大いなる意志の元、何かがやってくる。
自覚こそなかったが、エアリスはこの時初めてセトラとして覚醒したのだ。
セトラ――古代種。
星と対話をし、星を育てる力を有していたとされる種。
星の声が聞こえない今、ずっとミッドガルで護られているだけだったエアリスは、ただの“古代種の血を持っている”だけの存在でしかなかったのだ。
同じハーフセトラでも、クラウドのようにずっと戦い続けていたのでもなく。
一番身近だったセトラ母イファルナは、少なくとも娘の前では星に祈ることさえしなかった。
セトラの血を引きながらも、戦いから、そして祈りからも、エアリスはずっととても遠い所にいたのだ。
それがこの瞬間――エアリスは星の有する力の片鱗を、肌で感じる。
「ザックス!」
いきなり、視界が遮られる。
真っ暗だが、暖かい。自分以外の他人を感じた。
自分以外の大きな胸。呼吸。体温。
そして――血臭。
――おかしい…
目は開いているのに、見えないのはどうして?
――見なくちゃ。
目を開けないと。
見ないと。
このままではダメ。
――殺されるよ!
エアリスは、初めてセトラとして目を開く。
瞳に映った光景は、魂がすくみ上がるもの。
「――!」
すぐ傍にいるのは、ザックス。
大柄で逞しいソルジャーの肉体を盾にして、エアリスを護っている。
防具のない左肩からヌッと生えているのは、いびつな何か。
鈍色の何かが、ザックスの左肩を背中から貫いているのだと認識出来たのは、ゆっくりと血が服に染みこんで広がっていったから。
――ザックス……
初めて体験する血生臭い戦場にエアリスはおののく。
腹の底から恐怖がせり上がってきた。口元までやってきた恐怖を悲鳴に変えて、口から飛び出してしまいそうになる。
――このまま、叫んだら…
楽にはなるかも知れないが。
――きっと、狂う。
叫ぶのを止めることが出来なくなるだろう。
きっと一生。
そうやって戦いという恐怖から、逃げ続けるしかなくなってしまうのだ。
――イヤ。
それは、イヤだ。
こんなにイヤなのに、口はエアリスの意志を無視して、どんどん開いていく。
口がダメならば、と喉奥を締めるが、微々たる抵抗でしかない。
――叫んでしまう。
涙がじわりと浮かび上がってくるのを感じて、エアリスは歪んだ未来を受け入れるしかないのかと諦めかけた時、大きく開いた口元を、それよりも大きな手が覆ってくれた。
ザックスだ。
左肩を貫かれているソルジャーは、それでもいつものように、ちょっと情けないポーズでエアリスを見ている。
ザックスは強い。ザックスは優しい。そしてザックスは、狡い。
己を見くびらせて見せて、ソルジャーであるというのを忘れさせてしまう。
そうやって相手の好意を惹きだして、あっという間に心に入ってくるのだ。
でも今はそんなザックスがいてくれて、助けられている。
涙でにじむ瞳に映るザックスは、苦痛に苛まれているだろうに、余裕綽々だ。
「――怖がるな」
「俺が、護る」
不思議な言葉の魔法。
ザックスの手の下で、口は勝手に閉じていく。
腹の底からやってきた恐怖という塊は、どこかに溶けて消えてしまった。
そんな二人を挑発するように、左肩を貫き突き刺さっていた鈍色の塊が、乱暴に引き抜かれる。ごぼり、となんとも言えない音が、確かにエアリスの鼓膜にまで届いた。
エアリスは自然と手をかざす。ぽっかりと空き、血まみれの肉の穴となった傷口に向き合う。
「ケアルガ」
右手に填ったミネルバブレスが、内側から輝く。
ハーフセトラであるエアリスの魔力は高い。あくまでも実戦経験こそないが、魔法の訓練もしっかりと積んであった。
有しているマテリアもかなりレベルの高いものばかり。
エアリスの魔力について、特に回復系に関しては、クラウドもソルジャー1st以上だと褒めてくれていた。
ザックスの傷は見る見るうちに再生してしまう。
あっという間に、正に跡形もなくなってしまったのだ。
「…助かったぜ」
と言うや否や、エアリスを抱え上げる。
ザックスはそのまま大きく跳んで、停車してあったデイトナに飛び乗った。
「エアリス。コイツを運転出来るか?」
実際にデイトナを運転したことこそないが、知識はある。
「…た、たぶん」
「じゃ、コイツを運転してくれ」
エアリスをシートの上に無造作に置くと、デイトナ側面のホルダーからバスターソードを引き抜く。
バスターソード――分厚い剥き出しの鉄の塊をそのまま剣にしたもの。
切る、と言うよりもその重量で押し潰す剣だ。ソードの側面は剣らしくない乱雑さ。無数の引っ掻き傷が出来ている。この傷のひとつひとつが、ザックスの戦いの証なのだ。
エアリスの体重よりも…もしかしなくても、ザックス自身の体重よりも重いであろう剣を、片手一本で軽々と振り回す。
その動作は獰猛であるが故に、見る者を引き込んでしまう魅力があった。
右肩に剣を背負った構えで腰を低く落としたまま、ザックスは後部シートで立ちあがる。
「行け!エアリス」
慌ててエンジンをかけた。
小さなスクーターならば、幾度か乗ったことがあったが、こんな巨大なバイクをどうすれば良いのか。
ザックスには「たぶん」と返事をしたものの、エアリスにとってデイトナは、未知のモンスターと同じだ。恐る恐るスタートをさせていく。
ビュッと、文字通り大気を断ちきる音と共に、硬い物がぶつかりあう音が、すぐ背後から聞こえてくる。
――戦ってるんだ…
エアリスの全神経は、知らず知らずのうちに背後へと集まっていく。
ソレはエアリスを狙っていた。実際に剣を交えているザックスではなく、ソレはエアリスを殺そうとしている。
他者から向けられる感情には敏感なエアリスだが、不思議とソレからの敵意は感じない。ソレから感じられるのは、もっともっと別のモノ。人やモンスターとは違う、もっと無機質なプレッシャー。
――この感じって…
産毛が逆立つ。
――まさか……
操られるように振り返ったそこには、とてつもなく巨大な赤い色をしたソレ。
距離はかなり離れているだろうが…ソレがあまりにも巨大過ぎるためパースが狂っており、正確な距離はわからない。
ソレはいびつな形だ。人型に近い。機械で出来た躯は頭部となっている部分が細くなっており、手に当たる部分は肘から先が異常に長い。
指に当たる部分が触手となっており、色が鈍色。伸縮は自在のようだ。
この触手が伸びて、さっきザックスの肩へと突き刺さったのだ。今ザックスがバスターソードで戦っているのも、この触手。
――ルビーウェポン…
目にするのはもちろん初めてだが、知識だけはクラウドによって与えられている。
これは星の作った凶器ウェポンのひとつに違いない。
現在確認されているウェポンは5つ。これは真っ赤な外観からルビーウェポンと名づけられたモノだ。
確か――地上最強の装甲を持っていると。
逃走を図っても、自在に伸びる触手が追いかけてくる為に、決して逃げられないのだとも。
バイクのスピードは勝手に落ちていった。
「エアリス!もっとふかせっ」
――ダメ…
首を横に振りながらバイクを蛇行させたエアリスは、ひきつった声で叫ぶ。
「逃げてもダメ!」
「逃げてもあの触手で挟み撃ちにされる!」
確信のある台詞にザックスは眉を顰め、
「コイツがなんだか知ってんのかっ」
「これ――ウェポン」
「ルビーウェポンと呼ばれているモノ」
まさか、本当にウェポンが現れるなんて。
エアリスはこれまでずっと戦いの傍観者であった。
その為、己が狙われるなんてただの杞憂でしかないのだと、すっかり思いこんでしまっていたのだ。
自分が、ウェポンに襲われるなんて――遠い物語でしかなかった。
それがどうだ。見事現実になっている。
しかもミッドガルを出て、まだ丸一日も経っていないというのに。
バイクを操る両腕が震える。コントロールが頼りなくなり、巨大バイクは大きく左右に揺れていった。
ザックスは頼りないバイクの動きに器用に身体を合わせて、エアリスに叫び返す。
「コイツについて知ってること、全部教えてくれ!」
ザックスは、あくまでもソルジャーなのだ。
負けること、死ぬことを考えるよりも、戦いを第一とする。
「ムリ……勝てっこない――」
目の前にいきなり突き付けられた生死。――そして絶望。
せっかく恐怖を乗り越えられたというのに、絶望が待っているなんて。
我が身の運命を嘆き出すエアリスに向かって、ザックスは大声で怒鳴った。
「俺はスーパー1stソルジャー、ザックス様だ!」
――いいか。
「俺は負けねぇ」
力強い闘志に漲っている。
その強さはエアリスの魂を思いっきりひっぱたく。
――ザックスとなら、生き延びられる。
1stソルジャーなんだもの。そうよ、ね。
意味もなく、未来があるのを信じられるような気がした。