見事に空になった食器は、ザックスが返却に行ってくれた。
エアリスは部屋に備え付けられている豆を取りだし、食後のコーヒーを入れる。
腹はすっかりと満足した。そうなると再び混乱が襲いかかり、エアリスを苛む。
「お〜。イイ匂い」
声を掛けられるまで、ザックスが戻ってきたのに気が付かなかった。
びくり、と肩を振るわせるエアリスに、ザックスは何も言わない。
ザックスは己の性質を理解している。傷つき混乱する少女の扱いなど、ザックスには無理。
本人が自力で解決するか。本人がこちらに自分から訴えてくるかを、じっと待つしか出来ない。
いれたてのコーヒーを渡されると、ザックスはいつものように陽気に喋る。
さっきまで乗っていたバイク、デイトナのこと。
ミッドガルに新しく出来た、アミューズメントの話。
クラウドやセフィロスとは、無関係なものばかりを。神羅を連想してしまうものを避けて、並べて。
エアリスは興味があるとも面白くないとも、何の反応もしなかった。
口も差し挟まず、五月蠅いとも言わずにただ黙っているだけ。
――今はまだ無理かな…
ザックスが諦めて、自分の部屋へと戻ろうと考え始めた頃、エアリスが動いた。
俯いたまま、視線を手に持っているコーヒーカップへと注いだまま、唐突に、
「どして、タークスがいたのか、わかる?」
タークス――ザックスがミッドガルを出る際に、追い払った奴ら。
タークスはずっとエアリスにつきまとっていた。それは護衛の目的からではあったのだが。ザックスがエアリスと友人付き合いをしていく上で、敢えてタークスに言及しなかったのは、エアリス本人がタークスの存在を承知しているのに平気に振る舞っていたのと、タークス自体に物騒な気配がなかったからだ。結局、気にしないことにしていたが…
今更面と向かって「わかる?」と問われても、答えられる筈などない。
もっともエアリス自身、返事など求めていなかったのだろう。彼女は話しを進めていく。
「わたし、セトラなの」
――セトラ?知ってる?
一瞬にして記憶が甦る。
古代種の神殿。
クラウドとナナキと共に入っていったあの場所。
そこで何があったのか。
ザックスも確かにあそこで古代種に触れた――それは過去のセトラの残骸のようなものでしかなかったが…
同時にエアリスと出会ってからずっと、縺れて引っかかっていた糸が解ける。
エアリス――そうだ。
確かあのテロの時。ザックスが初めてクラウドと出会ったあの事件の際、タークスのツォンが「エアリス」の名を出したではないか。
エアリスの名の効果は絶大だった。
初めはスラムなど見捨てるつもりだったセフィロスが、「エアリス」の名ひとつで考えを転換させたのだから。
セフィロスはエアリスを知っている。
エアリスを特別に扱わなければならないのだと承知している。
だが、あの時のセフィロスの態度。
英雄はエアリスに良い感情を抱いてはいない。
そして、何より、あのタークスがみっちりと警護についているのは――
そこから導き出せる答えは、今エアリスが告白した言葉と一致する。
「ホントにセトラなのか!?」
「うん。クラウドと同じ。わたし、ハーフセトラなの」
純血のセトラはもういないのだから、クラウドとエアリスこそが最後のセトラなのだ。
改めて、目の前に座っている少女をまじまじと見つめてしまう。
髪の色。目の色。顔立ちも。クラウドと重なるところはないが…あの古代種の神殿で見た不思議な映像に出てきたセトラとはよく似通っている。
ザックスが自分を見て何を考えているのか、エアリスは気づいたのだろう。
セトラの色である栗色の髪を指先で触れながら、
「わたしのホントのお母さんと、クラウドのお父さんが、最後の純血セトラだったの」
二人が結ばれれば良かったのだが。
「わたしのお母さんと、クラウドのお父さん、歳が違いすぎて――」
それで、
「クラウドのお父さん、普通の人と結婚したの」
そして、クラウドが生まれた。
クラウドはハーフセトラでありながら、髪と目の色、顔立ちはセトラのモノではなく、人である母親の血が濃く出たのだ。
「わたしのお母さんも、人と結婚して、わたしが生まれたんだけど」
でも、
「――お母さん、最後まで、クラウドのお父さん、好きだったの…」
エアリスの母イファルナは、神羅の科学者であったガスト博士と結ばれた。
ガストは穏やかで理知的な人物だ。気性はセトラによく似ている。
彼は妻イファルナを、妻としてや、恋人としてではなく、妹のようにして愛した。
イファルナの持つ、同族であるクラウドの父に憧れる気持ちを、そのまま包み込んでしまう。
イファルナはそんな夫を尊敬はしたが、彼女の想いは別の形となってしまったのだ。
すなわち、子供同士を結ばせるという形に。
クラウドとエアリスの結婚を言い出したのは、イファルナだ。クラウドの父が肯定も否定もしないのをいいことにして、彼女はずっと強固に主張し続ける。
主張するだけではない。イファルナは幼いエアリスに、クラウドとの結婚を刷り込んでいったのだ。
エアリスは母の想いを、そのまま受け入れて成長していく。
母から刷り込まれたのも大きかっただろうが、エアリスにとって最も惹かれたのは、クラウドという存在が魅力的だったからだ。有り体に言えば、エアリスにとってクラウドは理想の王子様そのものだったのだ。
クラウドは幼い女の子の目から見ても、きれいだった。
誰よりもきれいだった。金糸の金髪と、抜けるように透き通った肌。混じりけのない澄んだ青い瞳。
そのどれもがエアリスの憧れとなる。
クラウドは歳の離れたエアリスにはいつも優しく、未成熟な女の子が有頂天になるのは仕方がなかったのかもしれない。
おまけにクラウドは戦士だった。しかも歴代のセトラ戦士の中でも、きっと最も強いであろう戦士。
身の危険を生まれながらに宿命づけられたエアリスにとって、クラウドは欠くことの出来ない唯一となる条件が揃いすぎていたのだ。
エアリスは自らクラウドと共に生きていくのを望む。
だが――いくらエアリスがクラウドのそう訴えても、ずっとはぐらかされてばかりで、色好い返事は貰えなかったのだが…
でもそれは、クラウドとエアリスの年齢差や、結婚について、セトラの血を濃く残すことについて、彼なりに葛藤しているからこそなのだろうと…
万が一にも、セフィロスなどとは無関係であると、ずっと己に言い聞かせてきたのに――
セフィロス――クラウドが育てていた子供。
エアリスとセフィロスはほぼ同時期に生まれた。少しだけセフィロスが早かったから、エアリスが物心ついた時には、すでにクラウドの傍にはセフィロスがいた。
ジェノバが混じった実験体として生まれたセフィロスは、己以外を全て否定していたそうだ。
誰が何を働きかけてきても、無反応だったそうだ。
喋らない。笑わない。泣かない。怒らない。
こちらの言葉は理解しているのにも関わらず、セフィロスは反応しない。
彼は己も含めた全ての存在に、一切の興味を持たなかった。
それが、クラウドだけには違っていたそうだ。
どう違っていたのか具体的なことをエアリスは知らないが、それでも実際に会った時のセフィロスの態度を見ていれば充分すぎる。
セフィロスは文字通り、クラウドの傍を離れようとしないのだ。
クラウドにまとわりついて、彼だけを見つめている。
クラウドだけに語り、クラウドだけに微笑む。
エアリスが初めて出会った時のこと。人と同じ速度で成長するセフィロスは、まだ少年だった。
その当時からセフィロスは全身でクラウドだけを求めていた。
それは幼かったエアリスにも、はっきり伝わってくるくらいに過剰なもので。
セフィロスの世界は、クラウドという形で出来ている。
それ以外は――無きも同じ。
でも、それでも――
「ザックス、知ってたの?」
「…」
「知ってたのね!」
こみ上げる感情そのままに、乱暴に椅子を蹴ってエアリスは立ちあがる。
「あんな…あんなコトを……」
いつもは冷たい顔しかしないのに、セフィロスはとろけそうに満ち足りている。
長く逞しい腕で、クラウドをすっぽりと抱きしめて。
クラウドもそうだった。
いつもはきれいだが、どこか寂しそうなのに。恥ずかしげに目を伏せて、恋人のキスを、そっと――
恋人の理想を形にするならば、二人は完全だった。
きれいで、お似合いだった。
文句のつけようなどなかった。
だから、だからこそ――許せない。
「おかしい――あんなのヘン!」
混乱して激するエアリスを、ザックスは理解出来ない。
逞しい腕を胸の前で組むと、
「どこがヘンなんだ?」
素直な疑問だった。
「男同士だからってのは、関係ないよな」
ミッドガルでは同性婚が認められている。
まだまだマイノリティではあるが、異端ではない。
現に同性カップルは、普通に街を歩いているのだ。今更エアリスが拒絶反応を起こす方がヘンだろうに。
「なに、言ってるの!」
「クラウド、わたしと結婚するの!」
「それは…、クラウドがそう約束したのか――?」
ハッと黙り込んだエアリスに、再びかみ砕くように、一言一言をはっきりと。
「セトラだからとかじゃなくて」
「クラウドが、エアリスに、きちんとプロポーズをしたのか?」
「…――それは」
それは、だって、
「わたし、セトラで言うと、まだ若いし…」
「違うだろ。エアリス」
「俺のダチになったクラウドは、本当に結婚したければ、自分の口でしっかりと気持ちを伝えられるヤツだ」
二人の年齢がどうとか、それは別にしても。
「でも…でもっ」
「お母さん、クラウドと結婚するんだからって――」
お母さんじゃない。
母親は関係ない。これは、エアリスのこと。
「クラウドが、そう言ったのか?」
――結婚しようと、そう言ったのか?
暫くの間、重い沈黙が落ちる。
エアリスの緑の瞳が潤む。涙が頬を伝っていった。
「クラウドは――言ってねぇんだよな」
エアリスは、やっと頷いた。
セトラであるエアリスは、外見よりもずっと幼いのだろう。セトラの成長や成熟と、人との成長成熟の差は知らないが、少なくともクラウドに関しては、エアリスはべったりと甘えたままでここまで来ている。
それなりの人間関係を経験し、それなりの恋愛を体験してきたザックスには、エアリスがここまでクラウドとセフィロスの関係を嫌悪している、その根本がなんとなく解りかけてきた。
――いいか。エアリス。
「セフィロスとクラウドは、愛し合ってるぜ」
「まあ、セフィロスを恋人に選ぶっていう、クラウドの趣味は俺にはわからんが…」
たぶん、セフィロスの執念が実を結んだのだろう。形振り構わずクラウドに縋ったに違いない。
「俺はセトラがどうのってのは知らねぇが、好きなモン同士がくっついているのが、一番自然じゃないのか?」
セフィロスはクラウドを求め、その想いにクラウドは応えてしまったのだ。
こうなっては外野が五月蠅く言っても、それはどうしようもないこと。
万が一、二人が別れるときが来たとしても、その後クラウドが誰を選ぶかはクラウド自身が決めることだ。
必ずしもエアリスを選ばなければならないと、定められているのでもない。
エアリスはその場に立ちつくしたままで、ずっと聞いている。
ザックスの言葉が終わると、くるりと背を向けて、窓を開けてテラスへと出ていく。
宿の部屋には、小さなテラスがついていた。木で出来た素朴で小さなスペースは、何も置いてない。
話しているうちに日はすっかりと落ちてしまい、辺りは夜の装いへと変化している。
テラスに差し込んでいるのは、月明かりだけ。
エアリスは木の床に直に座って、膝を立てると、そのまま顔を埋めてしまった。
エアリスは確かにまだ幼い。きっと人で言うならば、まだローティーンか、もしかしたら人で言う10歳にもなっていないくらいなのかも知れない。
だが、優しく賢い娘だ。
きっと自分で答えを見つけるだろう。
蹲る小さな背中に、冷えないよう毛布だけ掛けてから、ザックスは部屋を出ていった。
翌朝、昨夜同様に朝食を確保してきたザックスが、ドアをノックする。
今回はすぐにドアが開かれた。
昨晩は大して眠りも出来なかったのだろう。快活だった輝きは失せ、その表情はあくまでも硬い。
ザックスとは視線も合わさずに、背中を向けてしまう。
小さな背中は、現実を拒絶しようと足掻いているようだ。
ザックスも何も言わないままトレイを置くと、二人は沈黙のまま朝食をとった。
静かなまま食事が終わってから、やっとエアリスが口を開く。
「アイシクルロッジ、行きたい」
「親父さんのトコか」
こくり、と頷くと、
「ザックス。ここまで、ありがと」
「ここから、一人で、行く」
きっと一生懸命考えたのだろうが…
「そりゃ無理だな」
「無理じゃない!」
「お金もある。わたし、戦えるわ」
いくつかのマテリアを身につけているのも、ミニマムで携帯しているロッドを使うのだろうことも、薄々は気づいていたが、この際問題はそこではない。
「ザックス、迷惑掛けられないし…」
はあー。この台詞に天を仰ぐ。
本当ならばここままミッドガルに、それこそスリプルをかけてでも連れて帰るべきなのだろうが、それではエアリスの気持ちは不確かなままで収まらないだろう。
――女の子はやっぱり大切にしないとな。
ザックスは決断する。
「俺は今休暇中だ。休暇の間は付き合うよ」
ミッドガルから連れ出した責任もあるし。
信じられないとばかりに、エアリスは目をいっぱいに見開いて、ザックスを見上げる。
ザックスは、セフィロスとクラウドの関係を認めてしまっている。それが自然なのだと受け入れてしまっている。
ならば、受け入れられないエアリスは…イヤな子だと思っているのではないのか…
セトラの緑の瞳がこう語っている。
ザックスはとびきりの笑顔を浮かべてみせて、
「セフィロスとクラウドは関係ない」
「俺は、エアリスともトモダチだ」
それにさ、
「ここまで連れてきたとびきり可愛い女の子を、一人きりにしてこんな場所に放ってはおけないしな」
小さな顔がくしゃりと潰れる。
次の瞬間、エアリスはまるで赤ん坊のように、大声を張り上げて泣き始めたのだ。