わがままな痛み

裏側の世界シリーズ


「ザックスなんかと会う必要はない」
「あいつはソルジャーだ。神羅本社で会えば良いではないか」
「オレは本社ビルの上ばかりにいるから、ソルジャーとは滅多に遭遇しないだろ」
「ならば、又共にミッションをすれば良い」
「ミッションで会うのと、こういう普通の時に会うのは違うだろ」
それに、
「ザックスはソルジャーじゃなくて、友人としてのオレに会おうって誘ってくれてるんだ」
――わかってるだろうに…
――そんなダダばかりこねて。
「…それよりも、仕事がまだ残ってるんだろ」

セフィロスは仕事を途中で抜け出して、クラウドをここまで送ってきたのだ。もっとも送ってきたと言っても、実状はかなり違う。
セフィロスの車での送迎を、クラウドは今回頑なに断ったからだ。
送りはともかく迎えなんかに来られたら、セフィロスとエアリスが遭遇してしまうかも知れない。セフィロスには、今日エアリスもやってくるのはナイショなのだ。
クラウドは自分のバイクで行くことを押し切った。
よってセフィロスは送るのだけは許された形とはなったが、クラウドが運転するフェンリルの後を、神羅GTでついてきて、ここまでやってきたという顛末なのだ。

「早く神羅本社に戻った方がいい」
「…」
クラウドの言葉に、セフィロスは瞳を伏せる。
完璧でこの世にあらざらん美貌を持つセフィロスなのだ。こんな些細な仕草でさえ、時を止めるほどに美しい。
だがクラウドは誤魔化されはしない。セフィロスは拗ねているだけなのだ。
クラウドとザックスの友情を否定するつもりはさすがにないが、それでも自分以外の誰かにクラウドの関心が向けられるのは不愉快だ。
黙り込んで微動だにしなくなったセフィロスへと、クラウドは両手を差し伸べる。
「――フィー…」
クラウドの声を聞いているだけなのに、エアリスの鼓動は激しく打つ。
以前から何度も、クラウドがそう呼ぶのを聞いてきた筈なのに…
(フィー、ダメだよ)
(こっちにおいで、フィー)
クラウドはいつもセフィロスをそうやって呼んでいた。
でも、これは…
――なにか、違ってる。
“フィー”という一言に含まれているモノが違うのだ。
ただ全く別のモノに変質してしまった、というのではなく、以前からあったモノがより一層深く濃密になったと言うべきか。
思わず、エアリスはザックスを押しのけて、柱の影から顔を覗かせた。
声だけではない、二人の姿が見える。
クラウドの愛車フェンリルの隣には、セフィロスの愛車が止めてある。
駐車してある二台の間に、二人は立っていた。
伸ばされたクラウドの手を、セフィロスは優しく引く。クラウドより遙かに大きく長い両腕はしなるように引いて、巻き付いていった。
そうして二人はピッタリと抱き合う。
――…!
親子の抱擁ではない。
親愛でもない。
これは明らかに――愛だ。性愛を含んだ恋人への愛。

胸に埋まっている小さな顔を、セフィロスはそっと包む。
クラウドは抵抗しない。むしろ自ら顔を上げ、セフィロスと視線を合わせ、うっとりと微笑んだ。
これも又、エアリスの知らないクラウド。
クラウドは少し背伸びをして、セフィロスはその長身を屈めて、二人の額が軽くぶつかる。
額は数度軽くぶつかってから、触れ合ったままとなり、次に鼻と鼻が。そうして二人はキスをする。とても美しい、キスを。
「愛している――クラウド」
キスの合間にセフィロスが囁く。
クラウドも応じて、
「オレも…」
「離れたくない」
「離れないよ」
だって、
「フィーはオレを離さないんだろ」
それに、
「オレもフィーからは、離れない」
やっと決めたんだ。そうしようって。


いつもは冷徹な翠の魔晄が、愛おしさに彩られる。
こんなに優しげなセフィロスなど――エアリスは知らない。
知らない。知らない。知らない。
こんなセフィロスなど知らない。
セフィロスに抱きしめられて口づけるクラウドなんて知らない。
あれは別人だ。もしくは、エアリスは悪い夢を見ているのだ。
――だって、クラウドが選ぶの、わたし、なのに。
――お母さん…
生みの母、イファルナの顔が浮かぶ。


エアリスには二人の母がいる。
一人は今一緒に暮らしているエルミナ。彼女は普通の人だ。エアリスを育ててくれた母。
エアリスを生んでくれたのがイファルナ。二人目の母となる。彼女はセトラだった。
栗色の髪と緑の瞳。美形というのではなく、おっとりとした優しげな顔立ち。イファルナはセトラの特徴を余すところなく持っていた。
性格も大人しい女性で、忍耐強く待つことに慣れていた。
そう。エアリスの覚えているイファルナは、自ら進んでなにかをしようとはしない人だった。じっとして、ずっと待っているだけ。
ただ一つだけ、イファルナが自己を強く主張していた点がある。それはセトラであるということ。
彼女は己が純血のセトラであることに、強い誇りを持っていたのだ。敢えて“セトラである己”を強調して生きていた。
イファルナはあまり身体が丈夫ではなかったようだ。特にエアリスを産んでからは、起きあがることができなくなり、ほとんどの時間をベッドで過ごす。
その当時からエルミナは家に出入りしており、彼女はイファルナの代わりとなり、まるで乳母のようにしてエアリスを育てる。
エアリスにとって、イファルナとの思い出は多くはない。
姿形はよく覚えている。何より、自分にそっくりなのだから、忘れることなど有り得ない。
だがそれ以外の思い出と言えば、同じ純血セトラ最後の男性であったクラウドの父のことと、クラウド自身のことまでも熱く語る姿だけ。
(あなた、クラウドのお嫁さんになるのよ)
嫁、という言葉の意味もよく理解していない幼い娘に、イファルナはことある毎にこう言い聞かせていた。
ベッドから伸ばされた母の手は細い。病弱でやせ細っているのもあったが、子供心にもこれは働いていない手なのだと。何故かしらそればかりが気になった。
痩せて細くて白い手が、娘の幼い手を握りしめる。実の母親の手だというのに、エアリスはその手が怖い。
働いている為、節だっていたエルミナの手は、触れられるとあんなに温かいというのに。
そう感じてしまう己を、幼いエアリスはどうしようも出来ない。実の母の手を怖いと感じてしまう自分は、とても悪い子なのだと思う。
エアリスの動揺など気が付かないイファルナは、娘の丸い手を撫でながら、こう繰り返すのだ。
(クラウドのお嫁さんになって、可愛い子供をつくるのよ)
(そして、新しいセトラを作るの――)


――お母さん…
クラウドの妻となれ。こう言った母の笑顔の記憶に、エアリスは必死で縋り付こうとするが、他ならぬ現実のセフィロスが断ちきってしまう。
エアリスの目の前で、セフィロスはクラウドを抱きしめたまま、髪に頬に口づけを降らせている。
口づけの合間に、彼はエアリスを見た。
エアリスを捉えた翠の魔晄が、細く絞られる。
縦長の魔晄はこう語っていた。
――クラウドは、俺だけのモノ。
――貴様のモノではない。
これこそが現実なのだ、と。
クラウドが、セフィロスが、二人が選んだ本当の現実はこうなのだと、エアリスは思い知らされる。


小刻みに震えている小さな背中。どうすれば良いのかザックスには見当がつかない。
エアリスが見たのと同じ光景を、ザックスもそっと見ている。
二人が相愛の恋人であると知っているザックスにとっては、驚きつつもむしろ微笑ましい姿であったが、エアリスは――彼女は自分とクラウドの絆を、家庭を築く未来を、頭から信じ込んでいるのに。
セフィロスはエアリスの甘い夢をうち砕く為に、わざとラブシーンをこんな場所で展開しているのだが…
――英雄様もヤキモチ妬きだよな…
まどろっこしい手順も踏まず、有無を言わさず見せつける遣り方は、ザックスのよく知っているセフィロスらしいと言えばそうなのだが…
傷ついた女の子のフォロなど、ソルジャーの専門分野ではない。モンスター相手に剣を振るっている方が、余程マシだ。
――とりあえず、ここから出ないとな。
まだ震えている背中へと手を伸ばそうとしたが、手が届くよりも前にエアリスは自らの意志でくるりと振り向いた。
その眼差しはどこも映していない。
戸惑うザックスを無視したまま、エアリスは歩いてきた道を戻っていく。ザックスもその後をついていった。
エアリスの歩みは止まらない。どこかおぼつかない足取りのまま、スロープを上り、駐車場から出ていってしまう。
駐車場を出て、次の通りを約束の店から反対の方向へと。それから更に角を三つ曲がって、そこでやっと歩みが止まった。
ハタリ、と立ち止まったエアリスは、そのまま立ちつくしているだけ。人の流れの真ん中で、立ちつくしているエアリスは、とても幼い存在に思えた。
「……――エアリス?」
名前を呼んでも反応はない。
戸惑いつつもザックスは、少女の細い腕を出来るだけ繊細にとる。誘うように道の端へと、人の流れから遠ざけていった。
そうして少女の正面へと周り、屈んで視線を合わせて再び、
「エアリス…」
「……」
ゆっくりと緑の瞳の焦点がザックスへと向けられていく。
まるで初めてザックスという存在を知ったかのように、エアリスは無感情な眼差しで数度瞬いてから、
「――ザックス…」
とすぐ目の前にいる大柄なソルジャーの名を呼んだ。
「わたし、行きたいトコ、あるの」
「…?」
少女は何かに縋ろうとしている。それが何であるかは、もちろんザックスは知らないが、だが縋ろうとしている何かは、エアリスにとっての精神的支柱なのだろう。
「連れていって、ザックス」
結局、ザックスは何も聞かないことを選択する。
そして、考えた。時間にすれば僅かの間でしかなかっただろうが、かつてこれ程までにない真剣さでザックスは思考する。
ソルジャーになるのを決断した時でさえも、ここまで深く考えはしなかったのに。
沈黙の後、出た答えは、
「わかった――」
ザックスは良くも悪くも、傷ついた人間を見過ごせないのだ。
でも、
「ちょっとだけ、仕事の段取りをつけさせてくれ」
それに、
「エアリスも色々と用意があるだろ」
エアリスの瞳が、やっと藍の魔晄を直視した。見て、素直に頷く。
「とりあえず、一度家に戻ろうか」
まだ頼りない足取りの少女を促して、ザックスはゆっくりと歩き始めた。


約束の時間に約束の店へとやってきたクラウドは、店でザックスからの短い伝言だけを受け取る。
伝言を読むと、クラウドは教えられていたナンバーを押し、ザックスへとコール。
繋がらないと判断すると、すぐにフェンリルに跨り、神羅がソルジャー専用として建てた、ザックスの暮らすマンションへと。
ソルジャー専用だけあって、セキュリティは特化して強化されている。神羅から最高レベルのIDを渡されているクラウドでなければ、近づくことも出来なかっただろう。クラウドのIDはソルジャー専用マンションでも充分に通用する。
入り口を通り、ザックスの部屋へと入り、そこに主がいないのを確認してから、クラウドはセフィロスへと連絡をとった。
そこでセフィロスから、エアリスを見失ってしまったとのことを。エアリスはミッドガルから出たらしいことを。
エアリスをミッドガルから連れ出したのが、どうやらザックスであるらしいことを聞かされたのだ。




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