わがままな痛み

裏側の世界シリーズ


1.

エアリス・ゲインズブール。
若くて可愛らしくて、溌剌としている。
この世の幸福だけを甘受したような。
これが今ザックスの目の前にいる、少女の名だ。


知り合ってから一ヶ月弱。
知り合った切っ掛けは、ザックスからすればかなり情けない。
あるミッションにかり出されていたザックスは、つまらないドジを踏む。
ミッドガル市街でのちんけなテロリストとの攻防の際、足を踏み外して伍番街魔晄プレートから落下。
そのまま伍番街スラムに墜落。勢いは止まらずスラムにあった教会の屋根を突き破ってしまい、地面に激突。
咄嗟に受け身はとってはいたものの、これだけの高さから落ちたのだ。ソルジャーといえどもダメージを受けない筈はない。
だがザックスが打ち身、つまり打撲で済んだのは、落下した場所が鉄やコンクリートではなく、土だったから。
ミッドガルではとても珍しい、本物の土。そして土には色とりどりの可愛らしい花が咲いている。
――俺、ひょっとして死んじまったのか!?
スラムにしては場違いすぎる可愛らしい光景に、ザックスはこここそがあの世かと唖然とするしかない。

その背中に、一際鮮やかな花が話しかけてきた。
「ねえ、だいじょぶ?」
歌っているような。不思議な喋り方。
目の前に現れたのは花の少女。ふんわりとした栗色の髪とぱっちり見開いた緑の瞳。
鼻は小さく、口元は柔らかく、と。少女と聞いて連想する、理想の少女像そのものの姿をしている。
大人の女として成熟するまでにはまだ足りない若さが、一面に咲いている花にそっくりだ。美しいというよりも可愛らしい少女。
「――…」
驚きで声が出ないザックスに構わず、少女は天を指す。
「あなた、あそこから落ちてきたのよ」
少女が指し示したのは、古ぼけた屋根に飾ってあるステンドグラスにぽっかりと空いた穴だ。
屋根は高く、ザックスが今座り込んでいる地面までの距離はかなりある。落差は相当のものだったのだ。思わず、己の丈夫さに感謝するしかない。
「どこも、痛くない?」
大きな目に邪心なく覗き込まれて、ザックスはバカ正直となった。
「頭が、痛いかな…」
後頭部にはかなり大きな瘤が出来ている。もっともそのくらいですんだのは、ザックスがソルジャーだからに違いない。一般兵ならば瘤ではなく、頭が割れてしまっていただろう。
少女はかなり人懐こい性格だった。神羅ソルジャーを知らないのか、名前さえ知らない闖入者への警戒など微塵も見せずに近づいてくる。
傍まで来ると身体を屈めて、ザックスが手を当てている後頭部へと、その小さな少女らしい手を当てた。
柔らかく小さな掌。戦いに縁のない手だ。
思わず引いてしまったザックスの手に代わり、少女は瘤に触れる。
「すごい!大きいヨ」
歌うように笑う仕草は、ザックスには久しく縁のないものだ。
「手当、してあげるね」
後頭部から離れた手が滑り、そのままザックスの厳つい手を引いていく。そうしてザックスはそのまま少女の家へと、連れていかれたのだ。
小さく質素ではあるが、そこは家庭の匂いのする家だった。
手当の後、少女は楽しそうに自己紹介してくれる。
「わたし、エアリス。あなたは?」
「俺は……ザックス」
互いに名前を知った後は、もうすっかりと友達気分。
エアリスは実に嬉しそうに様々なことを喋り続けたのだ。
元より陽気なザックスだ。暫く後にはすっかりとうち解けてしまう。
そして二人は毛色の変わった“トモダチ”になる。

これがザックスとエアリスとの始まり。


それ以来ザックスは、時間の空いた時にはこの教会に立ち寄るようにしている。
恋ではない――たぶん。
エアリスはとても可愛らしいし、魅力的な少女ではあるが、少なくとも現時点では、ザックスが彼女を恋愛として求めているのかというと、そうではない。
男が女へ抱く本能を、ザックスはエアリスのは感じてないのだ。
エアリスの周りには、懐かしい安らぎがある。ザックスが昔、ソルジャーでなかった頃、故郷のゴンガガには当たり前のようにあった安らぎをエアリスは持っているのだ。
故郷を飛び出したこと。ソルジャーとなったことを後悔していない。
それでもやはりこの懐かしい安らぎを無視はできなかった。

ザックスが神羅ソルジャーだというのは、エアリスも薄々は勘づいているのだろうが、彼女の態度は一貫して変わらない。
それが、今日は少し違っている。
久しぶりに会ったエアリスは、彼女らしくなく躊躇っていた。ザックス用にコーヒーをいれると、背を向けて花の手入れを始めてしまう。
その小さな背中は、ザックスを拒絶しているのとは真逆で、すごく気にしているのだと、すぐに伝わってきた。
――こういう場合、女を助けるのが男というものだよな。
ザックスはなるべく明るく聞こえるよう意識して、
「エアリス。何か俺に聞きたいことでもあるのかい?」
エアリスの小さな背中が、葛藤しながらも動く。
そうやってこちらを向いたエアリスの表情は、ザックスが初めて見る奇妙なものだ。
とんでもない失敗を見とがめられたような、そんな顔だった。
いつでも楽しいダンスを踊っている、浮世離れしたエアリスがこんな表情をするなんて。
いぶかしむザックスを、やや潤んだ緑の瞳が捉えてしまう。
こうなると男とは愚かで弱い生き物だ。ザックスは何が何でも力を貸してやろうと、すっかりと思いこんでしまった。
「会いたい人、いるの」
エアリス特有の喋り方は、いつもは背伸びして聞こえるのに、今はやけに幼くてたどたどしい。
「ザックス。ソルジャーなんでしょ?」
会いたい人がいる。
ザックスはソルジャーなのかと、確認してきた。
この二つを並べたザックスは、一番シンプルな結論をまずはじき出す。
「会いたいヤツってソルジャーなのか?」
ううん。
「たぶん、その人、神羅本社ビルにいると思う」
「神羅の社員なのか?」
「違うよ」
でも、
「わたしも、クラウドも、神羅と、関係あるから――」
「ちょっと待ってくれ!」
まさか、エアリスの口からその名前が出るなんて。
ずっと噛み合わなかった話が、クラウドを基点として繋がっていく。
「クラウドって言ったか!?」
いきなり様子の変わったザックスに、エアリスはきょとんとしたまま、頷く。
「エアリス!クラウドを知ってんのか!」
「え…じゃあ」
大きく、瞬いて、
「ザックス。クラウド、知ってるの!?」
「ああ――ダチだぜ」
まだまだ心底まで知り尽くしてはないが、少なくともザックスはクラウドを友人だと思っている。
ザックスとクラウドの予想外の繋がりに、エアリスは文字通り瞳を輝かせた。
「クラウド、会いたいの」
真摯な、それでいてザックスに期待する眼差しに、直ぐさまYesと言ってはやりたいものの…

ザックスはエアリスについて、よく知っているのではない。
どんな生い立ちなのか。どんな生活をしているのか。(花売りなのは知っているが)
クラウドとはどんな関係にあるのか、等々。
名を知っているくらいだから、クラウドとは何らかの関係はあるだろうが、その関係が問題だ。
エアリスが一方的に、クラウドに会いたがっているのだとしたら?
よしんば二人が知人であったとしても、クラウドが態とエアリスを避けているのだとしたら?
何らかの事情があるからこそ、クラウドはエアリスと会わないでいるのだとしたら?
エアリスが――クラウドに害をなす者だとしたら?
ザックスとてソルジャー。このテの危険は重々承知している。
エアリスをおかしなテロリストだとは思えないが…これはザックスが勝手に判断出来ることではなく。

ザックスは腕組みをして考え込んでしまう。
そして暫くの後、でた結論は、
「俺に任せてくれないか?」
「任せるって?」
「クラウドにもクラウドの事情ってモンがある」
「俺だっていくらダチだからと言っても、クラウドには簡単には会えないんだ」
だから、まず、
「俺がクラウドと連絡を取ってみる」
その上で、
「エアリスのことを伝える」
エアリスを知っているか?
エアリスがクラウドに会いたがっているのだが、と伝える。
ここまでならば、ザックスは確約出来るのだ。
「ここから先、クラウドがエアリスと会えるのかどうかなんてのは、クラウドの都合もあるからな」
ザックスにはここまでしか口出し出来ない。これ以上踏み越えることは、出来ない。

この結論を聞いて、エアリスは少し不満げだが、仕方ないと納得したのだろう。
「わかった」
でもね、
「セフィロスに、わたしのこと、話さないでね」
「あぁっ!?」
ザックスは目を剥く。まさか、セフィロスまで知っているなんて――
――エアリスは何者なんだ!?
セフィロスが英雄だから知っている、というのではない口調だ。
もっと親しげな。セフィロスのプライベートまで知るような、エアリスはそんな風にセフィロスの名を呼んだ。
少なくともザックスの知る限り、エアリスは神羅には属していない筈なのに――
「エアリス。セフィロスも知ってんのか!?」
「ええ」
ザックスの戸惑いを更に加速させるように、エアリスはあっさりと言い切る。
そして、
「セフィロス。すごく、イヤな人」
鼻に清潔そうな皺を寄せたエアリスは、どうやらセフィロスに好意など持っていないようだ。
「大嫌い」という顔をしたまま、
「セフィロス。すぐにわたしとクラウドが会うの、邪魔するのよ」
だから、
「わたしのこと、セフィロスにはナイショね」

思い返せば、これがイヤな予感の第一歩だったのだ。
――あ〜あ。俺ってホント、女の子には弱いね。
ザックスは出てしまいそうになるため息を堪えるしかない。


ここはカーム。
どうしても今日中にアイシクルロッジに辿り着きたい、と譲らないエアリスをどうにかなだめて、ザックスは今夜ここに宿をとるつもりだ。

宿屋のテラスでエアリスはずっと膝を抱えたまま、床の上に座っている。
もう泣きはしていないが、混乱は未だ収まっていない。
――俺もマズかったんだよなあ…
セフィロスとクラウド、両者を共に知っている人物ならば、当然了解しているとばかり思いこんでしまっていたのだ。
エアリスは何も知らなかった。
全く、何も、知らなかったのだ。
そして彼女は、知るよりも先に、実際に見てしまう。
セフィロスとクラウドが抱き合う姿を。
そっと唇を合わせる、恋人として完璧に調和した、睦まじい姿を。




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