sensual world

裏側の世界シリーズ


セフィロスにとって、生涯初めてフィーという“愛される立場”をくれた愛しい人。
その小さな顔から目が離せない。
薄い紅色の唇が動く。セフィロスのよりも、ずっとふっくらとした稜線を描く唇は、花弁のようだ。
いくら触っても、何度吸っても、この花弁から味わえる甘露に飽きは来ない。
「フィー――オレはこれから博士と話をしてくるから」
なのに、花弁は動いてこんなつれない言葉を放つ。
宝条などと話はさせたくない。
ヤツがどのような話をするのか、セフィロスには充分過ぎるほど解りきっているのだから。
宝条は、クラウドと自分を引き剥がそうとしているのだ。
第一、 セフィロスはこの宝条という男を、欠片すらも信用していない。
宝条とてそうだ。
ヤツはセフィロスを嫌っている。憎んでいるといっても過言ではない。
原因は知らない。だが初めからそうだった。
宝条がセフィロスをどのように嫌悪しているのか、その気持ちはよく解っている。セフィロスも同じだけの、いや、それ以上の嫌悪感を宝条に抱いているのだ。
信用もしていない、むしろ嫌悪している男が語る言葉など、どれだけセフィロスを歪めて発せられるのかなど、火を見るより明らか。
――クラウドがもし、話を聞いて離れていくとすれば…
絶対に狂う。
星やウェポンより先に、セフィロスこそがこの世界を滅ぼしてみせよう。
クラウドから拒絶されるなど、考えるだけでおぞましい。
――行くな。
――宝条などと話すな。
はっきりそう言って強引にクラウドを引き留められないのは、セフィロスには解っていたから。
クラウドにとって宝条との話し合いは、絶対に避けられない確定なのだ、と。
クラウドは話しを聞かねば納得すまい。
金髪碧眼のこのきれいで愛しい人の魂は戦士だ。
真相を追求して、臆病な曖昧さは許さない。
今は避けられたとしても、近い将来クラウドは絶対に真相をつきとめるに違いない。

セフィロスの長い腕が、力無く垂れ下がっていく。
最後にもう一度銀色の髪を撫でてから、クラウドは身体を離した。
すかさず、怒りをセフィロスにぶつけたままの宝条が、二人の間に割って入ってくる。
「クラウド。こちらに来なさい」
セフィロスを威嚇しながらも、別室へとクラウドを誘う。
彼はそれに素直に従った。
クラウドの背中がセフィロスへと向けられてしまう。
ずっとずっと愛しくて憧れていて“フィー”という名までくれた人の背中がどんどん遠ざかって離れていく。
何もせずに見送るだけではいられない。
「クラウド……――」
溢れ出た声は震えて、クラウドの元にまで到底届かない頼りないものでしかなかった。
「クラウド…クラウド、クラウド」
――頼む。戻ってきてくれ。
話を聞いても、また戻ってきてくれ。
抱きしめて欲しい。
そしてまた「フィー」と読んでくれ。
扉が閉まる寸前、セフィロスは叫ぶ。
「クラウドっ!」
扉が閉じようとする僅かな隙間から、クラウドが驚いてセフィロスへと振り返っている。
セフィロスとクラウドの眼差しが、一瞬だけ絡み合った。
そしてそのまま、クラウドは行ってしまった。


耳に残る。いつまでも離れずに消えていかない。
「クラウドっ!」
セフィロスは、どんな想いで叫んだのか。
後ろ髪が引かれるクラウドに対して、同じように叫びを耳にした筈の宝条の態度は、冷徹そのものだ。
ここまで怒れる宝条を、クラウドは知らない。

二人は別の棟へと向かっていった。
いくつかの角を曲がりエレベーターへと辿り着く。そこから地下へと潜るのだ。
クラウドが普段生活している棟は、比較的素朴で暖かみのある造りになっていたが、この棟は違う。
直線と直線で構成された無機質な空間。清潔ではあるが冷たい。
人が生活しているという、匂いも気配もない。ここは研究専用の棟なのだ。
宝条がクラウドを連れてきたのは、研究室のひとつ。
研究・実験の主なものは、基本的にガスト・宝条両博士二人が中心となり進めているため、宛われている研究棟のスペースも、そのほとんどが共用となっている。
だが二人の博士にはそれぞれに個性があり、自ずと得意不得意の分野というものもあった。
宝条が案内したのは、主にガストがよく使っている研究室だ。
一日の大半の時間を、ガストはここで過ごしている。
この研究室はガストのプライベートオフィスとしての意味合いが強く、他の神羅からのスタッフの出入りが極端に少ない。
ここでの会話は他者に漏れる心配はないのだ。

瞳孔と静脈の照合でドアを開く。
ドアの向こう、まずあるのは複数名がミーティングもできるスペースだ。
研究室らしくない殺風景な部屋に置いてあるのは、スチール製の薄っぺらな机と、ガタついていそうないくつかのパイプ椅子だけ。
宝条はずかずかと入ると、クラウドを椅子のひとつに座らせた。
そして自分はそのまま奥の部屋へと、無言で行ってしまう。
奥の部屋にはガストがいるのだ。
キィっと椅子の立てる耳障りな音を聞きながら、クラウドは大人しく待った。


待ち人は予想外に早く登場した。
奥のドアが開き、ガストが宝条と共に現れる。
宝条は怒り顔のままだが、ガストの顔は違っていた。怒りというよりも、ショックを感じているようだ。穏和な顔つきが、硬く強張ってしまっている。
「クラウド…」
ガストはクラウドの真向かいに座ると、そのまま両手で頭を覆ってしまう。
こんな力のないガストは初めてだ。
「だから言っただろう!」
「セフィロスをクラウドに近付けるのは、間違いだったのだ」
苛立たしく言い放つ宝条の怒りの矛先は、ガストに向かっている。
「だが…――あの時のセフィロスには、クラウドの存在を知ることが必要だったのだ」
「セフィロスなど…」
さも疎ましげに、宝条はセフィロスの名を吐き捨てた。
「宝条。セフィロスは自立した立派な一個人なのだから」
「いいや。アレはそのようなモノではない」
「アレはただの――モルモットだ」
――モルモット!?
クラウドの背筋を、冷たい刃先がそっと撫でる。
モルモット=実験動物。
ジェノバ細胞移植のことを指すのか。
それとも、もっと他にあるのか?
「アレはクラウドと引き合っている」
そらみろ。
「リユニオンの本能に従っているのだ」
「アレに自分の意志などない」
「本能であるリユニオンに振り回されるなど、アレがモルモットであるはっきりとした証拠だ」
再度出てきたモルモットという言葉がセフィロスを指すのならば、とても聞くにいたたまれない。
クラウドはたまらず、両博士の感情的な遣り取りに割って入った。
「説明してください――」
「お二人のお話の意味を、教えてください」
――何もかも。隠さずに。
そう言われて両博士は怯んだように視線を交わした。
だがここで全てを聞いてしまわなければならないという、強い衝動に押されて、クラウドは畳みかける。
「オレには話を聞く権利がある筈です」
「セフィロスは、オレと同じジェノバ細胞の持ち主ですよね」
さっき出た「リユニオン」という単語が明らかに証明していたが、両博士の口からはっきりと聞きたい。
「それを…」
「それを、やはり…君は気づいていたのか……」
ガストの言葉にクラウドは大きく頷く。
「初めは、普通の人ではないのだろうくらいにしか考えていませんでしたが――」
リハビリを終え訓練に入ってすぐに確信した。
それまでははっきりとした形にならなかった違和感が、ジェノバ細胞という確信となったのだ。
「セフィロスの桁外れの能力を知れば、すぐ解ります」
「彼はセトラと同等。もしくはそれ以上です」
そこで、
「オレは博士達の研究が成功したのだと思いました」
「セフィロスは、ジェノバ細胞の移植に成功した人間なのですね」
そうだ、とも。
そうではないのだ、とも。
二人の天才は、クラウドの問いかけへの答えを、互いの視線の中に求める。
顔を見合わせ黙したままで語り合う。
単純なイエス、ノーならば、この間はいらないだろうに。
――まさか…?
「違うのですか?」
違うのならば、現実にある、あのセフィロスの驚異的な能力をどう説明するというのか。
ジェノバ細胞以外の解釈を、クラウドは考えられない。
「じゃあ、セフィロスは…」
―― 一体、何者?
クラウドがフィーと名づけてやった、強くて逞しくてとても可愛い子は、一体何だというのだろうか…

クラウドが疑問に苛まれている間に、顔を見合わせ、視線で語り合っていた天才達は、結論を得たようだ。
ガストがゆっくりと語り始める。
「クラウド――」
「セフィロスに関する君の推測は、多くの部分では正しいと言っても良い」
間違っているのではない。が、正解でもない。
「セフィロスは確かにジェノバ細胞を有している」
ここは正しい。
だがそれだけでは、正解にはならないのだ。
「クラウド。君にもジェノバ細胞を移植している」
「欠損していた君の身体の半分は、ジェノバ細胞によって再生している」
「つまり君の現在の身体は、セトラと人とジェノバ細胞とが交じり合った状態にあるのだ」
現在いるクラウド・ストライフという人物は、これまであった父であるセトラと、母である人との他に、ジェノバ細胞とが加わった三つの要素から成り立ち構成され存在しているのだ。
クラウドの遺伝子からも、それははっきりと証明されている。
それに比べ、セフィロスはと言うと。
「セフィロスは君とは違う」
「彼を構成する要素の9割以上がジェノバ細胞だ」
「彼はジェノバの遺伝子をほぼ完全に受け継いでいる」
いや、はっきり言おう。
「セフィロスは、ジェノバの子なのだ」

――ジェノバの子?
――遺伝子を受け継いでいる?
――9割以上がジェノバ?
言葉の意味はわかる。
でもガストが何を言いたいのかは、さっぱりだ。
――それって、セフィロスは人じゃないってことなのか?
聴覚だけが音を捉えて上滑りして、しっかりとは思考出来ない。
それに、ジェノバが子供を得るだなんて、ナンセンスじゃないのか?

呆然としたクラウドは返すべき言葉すらも湧かない。
自分をじっと見つめ、沈痛な表情を向けているガストに押され、
「あ…、えっと……」
語るべき言葉を必死でかき集めた。
そうやって出てきたのは、
「ジェノバって生殖できたのですか?」
親がいなければ、子は出来ない。
ジェノバが親だとすれば、ジェノバは実は生殖らしきことが出来たというのだろうか?自分が知らなかっただけで。
確か――記憶によると、ジェノバには生殖という概念そのものがないと聞いていたのに。
対するガストの答えは、クラウドの記憶の正しさを証明するものだった。
「いいや。ジェノバに生殖というものはない」
ならば、なぜ?
「セフィロスは……、人の姿をしていますよね?」
人を超越した美貌の持ち主ではあるが、彼は人だ。
抱きしめ合ったときの鼓動。太い血管を流れていった血流の音。
その上彼は、勃起もしたのだ。あれがジェノバの擬態だというのか…
それに、
「いくらジェノバ細胞が完璧な擬態を出来るのだとしても――…」
不意に乾いてきた唇が気になった。舌先で素早く舐める。
「擬態には、元となるオリジナルが必要なんじゃなかったんですか?」
さっき舐めたばかりなのに、唇は乾いたままだ。
やけに気になって、指先でこっそりと触れてみる。
「その通りだ。クラウド」
ガストと会話しながらも、唇を気にする指先は、ずっと触れたまま。
特にカサついた感じもしないが、やはり何かが足りない。
何が足りないのか?
すぐに答えは出てきた。
――セフィロスのキスだ。
――彼の唇が、ここにはない。
「オリジナルのセフィロスは、確かに存在する」
――彼の唇が足りない。
「でしたら、博士。セフィロスはオレと同じジェノバ細胞を移植された人なんじゃないんですか?」
「いや、違う!」
「セフィロスと君とは違う」
「セフィロスがジェノバ細胞を移植されたのは、彼が人として誕生する以前なのだ」
「彼が人としての形を成す前、まだ細胞が未分化な受精卵であった頃…ごく初期時にジェノバ細胞を植え付けたのだ」
「つまり、彼は――」
「彼の母親の胎内にて、セフィロスの原型となった受精卵が子宮に着床した段階で、ジェノバ細胞を移植したのだ」
――セフィロスが、足りない。
「胎児…赤ちゃん?」
「厳密に言うと、胎児でもない」
「胎児になる前、まだ受精卵が分割を始めた段階だったからな」

セフィロス。
――フィー。
可愛いフィー。
フィーは、どうしてここにいないのだろうか?





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