sensual world

裏側の世界シリーズ


人が出来るプロセスの始まりは、卵子と精子がランデブーに成功するところから。
卵子の元に辿り着いた精子は、最後の力を振り絞り、見事ひとつとなる。
受精卵の誕生だ。
受精卵は子宮へと向かい、柔らかく暖かい壁にドッキングする。
これが着床。
着床した受精卵は胎盤を形成。同時に驚くべきスピードで分割していくのだ。
2分割から4分割。16分割から256分割へと。
分割している受精卵は胚となる。胚とは多細胞生物の個体発生におけるごく初期の段階をさす。
脊椎動物の胚は、鳥類も魚類も両生類も爬虫類も、そして人も、とてもよく似た形態となっている。
この胚が人の原型となるのだ。
こうしてDNAに刻みつけられた人の形へと、進化の過程を辿りながら形作っていく。

宝条はさも忌々しげに、苛々と歩き回ったままだ。
針金のような骨と皮だけの指先に、クラウドの意識は取られる。
手入れされていない爪にこびり付いているのは、鈍く錆びた赤。あれはセフィロスの赤だ。
クラウドを宝条から庇おうとした時、セフィロスは爪を立てられていた。その時の血だ。
――ジェノバの子と言っても、血は赤いんだ。
セトラと、人と、同じ色。
「どうして…」
「どうしてセフィロスにジェノバ細胞を植え付けたんですか」
どうやら答えをくれるのは、ガストの担当らしい。
天才の片割れは、重くため息を吐いてから、
「初めは――、セトラを作り出そうとしたんだ」
「セトラ?」
ああ、そうだ。
「我々はセトラの末裔である。君のお父さんとイファルナの二人から、精子と卵子を貰い受け、冷凍保存をしている」
その話ならば、大まかにだが知っている。
「人工授精のことですか?」
「何度試みても、失敗ばかりだった――もしかしたら、ハーフセトラである君とエアリスならば、将来成功するかも知れないがね」
それは先の話として、
「冷凍保存されている精子と卵子のストックには限りがある」
「失敗の原因さえ分からないのだ。貴重な精子と卵子を無駄には出来ない」
「そこで我々は発想を変えてみた」
「人工授精を試みる前の段階として、セトラの精子と卵子に、それぞれジェノバ細胞を投与してから、受精を試みたのだ」
これは初耳だった。
「どうなりましたか?」
ガストは苦く笑い、
「結局、失敗したよ」
だが、
「この実験で我々は学んだのだ」
今回の方法でジェノバ細胞を投与したパターンが、一番成功に近かった。
ジェノバ細胞とは、人にとってもっとも始まりである受精卵とは、相性が良いらしいと。
今回も失敗に終わったのは、ひとえにセトラ同士での人工授精であったからで、ジェノバ細胞の投与自体は成功と言えるだろう。
「そこでセトラではなく、人の受精卵にジェノバ細胞を投与することにしたのだ」
――人の受精卵とは…
「いきなりだったんじゃありませんか?」
普通は動物実験からだろう。人に一番近いとされている類人猿を使うのでは。
少なくともガストは、答えや結果だけを早計に追い求めて、安易に飛躍した実験はしなかった。
一段一段を積み重ねて得た結果こそ、信頼するに値するものだと知っていたのに。
どうしてこんな大事な実験でそうしなかったのか不思議だ。
クラウドの率直な疑問は、ガストに見えないダメージを与えるものであった。
グッと奥歯を噛みしめてから、己に逃げ場などないのだと諦観した顔つきで、
「――時がなかった」
「動物実験をしている時がなかった」
「ちょうどあの戦いの頃だったのだ――」
「最後のセトラ戦士であった君の父が死体も残らない最後を遂げ、クラウド、君がアルテマウェポンによって半死半生となって帰ってきたのだ」
その言葉に、クラウドは父を思い出す。
不思議と今あの当時を思い出すと、己が受けた傷や戦いの恐怖よりも、死んでしまった父しか残っていないのだ。
とても強かった父。身体も心も、強くて逞しい、大きな人だった。
外見はセトラそのままだった為、一人息子であるクラウドとは似ていなかったが、髪の色や目の色など些細なことでしかなく、父は溢れる程に暖かな親愛を惜しみなく与えてくれていたのだ。
愛されているのだと解っていたからこそ、家にほとんど居なかった父を、素直に慕うことが出来たし、戦いに出ていく背中をいつも信じて見送っていた。

「君は本当に酷い有様だった」
息があったのは奇跡としか言いようがないくらいに。
身体の5割は焼かれて炭化するか、消し飛んでいた。処女雪のような肌がむごたらしく焼かれている様子は、形容する言葉さえでない。
即死していてもおかしくなかったが、それでもどうにかクラウドは生きている。セトラの強い生命力と、かろうじて原型を止めていた脳に大きな損傷がなかったのが奇跡の理由だった。
「我々は君をすぐラボに運び込み、処置を施した」
「だが…手がつけられなかった」
出来たのは寸断されている血管の縫合と、どうにか脳を現在の状態のまま活かしておくだけしか出来なかったのだ。
「どうにかして君を生かしておくことは出来たが、ただそれだけだった」
「我々に君を治療することなど不可能だったのだ」
良くてこの無惨な姿の儘、植物状態を保たせるだけ。
だがそれもいつまで持つかは保証出来ない。明日か、明後日か、今すぐにでも死んでしまってもおかしくはない。
貴重なセトラ戦士がいなくなってしまう。
「どうしても――君に死なれてはならない」
「賭に出た」
悠長な動物実験などしている余裕はない。
ガストに突き付けられたのは、やるかやらないかのどちらかだけ。
実験を提案した宝条はすでに選んでしまっている。

ガストは顔を上げて、目の前にいるハーフセトラの少年を見つめた。
混じりけのない天然のブロンド。宝石よりも深い色を讃えた青い瞳。
滑らかな蜂蜜色の光沢を放つ白い肌。男にしては細い眉。筋の通った鼻梁。尖った細い顎と。
きれいな少年――いや、もう青年か。
クラウドと初めて出会ったのは、彼がこの世に誕生した瞬間のことだった。
ガストはクラウドの出生に立ち合った一人だったのだ。
生まれたての頃すでにクラウドはとてもきれいだった。
素朴な容姿のセトラとは、似ても似つかないきれいな赤ん坊。
彼がセトラ戦士である父から受け継いだのは容貌ではなく、桁外れの魔力と身体能力にあった。彼以上に強い戦士はこの世に存在しないのだ。
このきれいなハーフセトラの青年を失いたくはなかった。
否、失えなかったのだ。感傷ではなく現実として。
だから選んだ。
宝条と同じく、賭にでたのだ。


当時、ガストの研究チームに有能な助手がいた。
名をルクレツィアと言う。無論女性だった。
彼女は当時20代半ば。未婚ではあったが、女としては成熟しきっており、健康も遺伝子も問題なく、卵子の状態も良好だったのだ。
男の精子が精巣にて製造されるのに対して、女の卵子は生まれた時に、生涯の数が定められている。
第二次性徴以降、排卵により卵子は吐き出されており、年齢を経れば経るほど、卵子は環境因子の影響を受け損傷することもあり古くなる。
古くなった卵子は、生命力が弱くなり、受精しにくくなるのだ。
ルクレツィアの卵子は受精に適していて、その上何より彼女は自らこの実験に志願してくれていた。
ルクレツィアの卵子を使い、顕微鏡受精を試みる。
受精は見事成功。そのままルクレツィアの子宮に着床させた。
着床を確認すると同時に、受精卵にジェノバ細胞を投与。
だが一度目は失敗。二度目は、別の卵子を使って再度試みた。
卵子以外は全く同じ手順で、今度は成功。
憂慮していた拒絶反応は起こらず、受精卵とジェノバ細胞はひとつと混じり合いながら、活発な細胞分裂を繰り返し続ける。
そしてこの実験の最初の山場は超えたのだ。

ジェノバ細胞とひとつに混じり合った受精卵から出来た胎児は、外見と成長過程だけとれば、普通の人の胎児と変わらなかった。
決定的に違ったのは、成長スピードだ。
妊娠周期の計算は、臨床産科では月経後胎齢を元に数える。最終月経の初日を一日目とするのだ。
大抵の場合、妊娠が確認できるのが2ヶ月目。
10ヶ月、40週を正常な妊娠期間として、予定日とするのだ。
それがどうだ。ジェノバ細胞を移植された子供を宿したルクレツィアの腹は、2ヶ月目で膨らみ始め、3ヶ月目には胎動を感じたのだ。4ヶ月目ともなると、腹は大きくせり出す。
腹の大きさだけではない。中にいる胎児の成長も異常であった。
2ヶ月目にはすでに人としての原型を作り終え、目を開き辺りを見回している動きがはっきりと観察出来た。
聴力も普通の胎児よりも格段に聡く、外界の物音にも敏感に反応をして、音から学習しているようだ。
両博士はその子が、通常の胎児が出産に耐えられるのと同じだけ発育したのを認めると、ルクレツィアの母胎より、胎児を早々に取り出した。培養液に移し、人工羊水の中でその後の経過を観察。
外界での生活が営めると判断して、培養液の人工羊水から胎児を取り出したのは、妊娠周期で数えると、6ヶ月目の終わり頃だった。
こうして生まれてきたセフィロスだが、母乳などは必要なかった。
出てきた頃には髪も生え、歯も生えそろい、取り出されたすぐから歩いて走り出していたのだ。
ただコミュニケーション能力は低く、こちらの言葉は理解しているようだったが、反応は乏しいままであった。
文字は早く覚えたが、言葉に至っては発声器官に異常がないのにも関わらず、極端に少ない。
原因は喋れないのではなく、セフィロスが会話というコミュニケーションに必要性を見いだしていないからだというのは、すぐに見当がついた。
だが時間の浪費は許されてなどない。
クラウドを再び以前と同じく甦らせるのには、セフィロスとのコミュニケーションに力を注ぐような時間の余裕はないのだ。
培養液の人工羊水を出た後も、セフィロスの成長は異常なスピードで進んでいく。
肉体が耐えられると判断してすぐ、両博士はいくつかの実験に取りかかった。セフィロスの身体を実験台にして、ジェノバ細胞の可能性を探り始めたのだ。
この実験のデーターを元に、クラウドにジェノバ細胞を投与。
データーを元に立てた予測以上のスピードで、クラウドの身体は再生を始める。
身体自体は投与して一年も経たないうちに元通りに回復したものの、意識はなぜか戻らない。
結局クラウドが目覚め、本当の意味で元に戻ったのは、眠りに就いてから9年もの月日が過ぎてからとなったのだ。


長いようで短いような、ガストの話が一息ついた。
話してくれた内容は解った。だがどう解釈して良いのか、クラウドはやはり戸惑う。
クラウドにとってのセフィロスとは、話を聞いた後でも、やはり可愛い“フィー”でしかない。
ガストから聞かされた実験動物でしかないセフィロスとは、イメージがどうしてもそぐわないのだ。
そこに宝条が噛みつくようにぶちまける。
「セフィロスは人ではない」
無論、セトラでもない。
「アレの外見こそは人そっくりだが、あれは人の受精卵からDNAを読みとったジェノバ細胞が、擬態しただけのもの」
「外見が人に似ているからと行って、アイツは決して人と同じではない」
その証拠に、
「アレがいくつに見える?」
身体の発育状態で考えれば、青年期としか見えないだろうが。
「アレは生まれてからまだ9年しか経っておらん」
――そうなるのか!
ガストの話から考えれば、クラウドが眠ってから後に生まれたのだから、クラウドの眠りの期間と数ヶ月の差しかないのだ。
――9歳…
――オレは何をしていただろうか?
まだほんの子供だった。年に数回しか帰ってこない父を、ずっと待ちこがれていた記憶が一番強い。
でもいざ父が帰ってくると、それはそれでつまらなかった。
何故ならば、いつもは独り占め出来ていた母が、父に取られてしまうから。
母はとても美しく、どこか少女めいて見えた。一児の母には見えなかったのだ。
そんな母を父はとても深く愛していたのだ。
クラウドという子供が出来ても、父の母への愛は強くなるばかり。
もちろん、父も母もクラウドを愛してはくれたが、それでもどちらもクラウドが唯一ではない。子供心にも、そう感じて。
両親が仲睦まじい様子が嬉しいのと同時に、やはりちょっとだけ疎外感があってつまらなかった。
それもこれも、今から振り返れば、家族の良い記憶でしかないが。

だが、セフィロスにはそんな記憶はない。家族という形も、思い出すらもない。
「アレはクラウドを復活させる為に作っただけなのだ」
「成功した、たった一体でしかない」
セフィロスの意味とは、ただそれでけでしかなく。
「こちらの予測以上に能力が高く生まれてくれたのは、満足出来る誤算ではあったが」
「アレを元にすれば、受精卵から弄らなくとも、人の能力を高める方法をすぐに解き明かせるだろう」
モンスターともウェポンとも、互角に戦える人の戦士を作り出すのだ。
その実験も達成まであと一歩。ベースとなる足がかりはもう掴んだ。
「それが――」
「リユニオンなどに振り回されおって」
ジェノバ細胞とは、やはりどこまでいってもジェノバ細胞でしかないのだ、と。
「クラウドを情で求めるなど」
――汚らわしい。
「アレは次に何かあった時に、クラウドの盾になるべきだと言うのに」
宝条は最初からセフィロスをクラウドの捨て石にするつもりだ。
次にアルテマウェポンと遭遇し、死の危機に瀕した際には、今度はセフィロスこそがその身を盾にして、クラウドを生かすべきだ。
クラウドの為に、セトラの血を残す為には、セフィロスは死なねばならない。
宝条の中でのセフィロスの格付けは、クラウドの為に生を与えられ、人の強化の為に様々な実験を受け続け、最後の時もクラウドの為に死なねばならないのだ。
そのセフィロスが、だ。クラウドを欲するなど。
ましてや愛など――モルモットの分際で、汚らわしい。

宝条の残酷すぎる考えは、クラウドに毒となる。
宝条がこれ程残酷な考えを露わにするのも初めてならば、彼が語るセフィロスという存在の意義は、全てクラウドへと帰結しているという事実そのものが、毒であるとしか考えられない。
クラウドが瀕死となり長い眠りにつかなければ、セフィロスはこんな生まれをすることもなかった。
人の強化の為のモルモットとして扱われる運命もなかった。
受精卵の時にジェノバ細胞を投与されて生まれてこなければ、こんなに残酷な今はなかっただろう。セフィロスはもっと別の人生が用意されていたに違いない。やはりこれもクラウドのせいだ。
そして宝条はセフィロスを、クラウドの盾となって死んでしまえと言う。
死すらも己で選べないなど、戦士としてのセフィロスにとっては恥辱以外の何物でもない。

愛していると言ってくれた。心を捧げてくれた。
離れないで。傍にいて。クラウドだけをずっと見つめてきたのだ、と。
彼はどんな想いでクラウドにそう告げたのだろうか。
“フィー”という名を、どのような想いで受け取ってくれたのだろうか。
例えセフィロスの想いが同じジェノバ細胞を持つ故のリユニオンだとしても、クラウドは彼の想いも、ましてや愛も受け入れることなどしてはならない。
彼を本当に大切にしたいのならば、セフィロスからは離れなくてはならない。

宝条の毒は留まるところを知らない。ずっとセフィロスを悪し様にしている。
そんな宝条を何故かガストは強く止めようとはしていなかった。
心優しいガストが、何をもってそうしているのか。
ただ毒を溢れさせ言葉に変えて投げつけている宝条を、哀しそうに見つめているだけで。
暫くしてやっと宝条の毒が切れた。吐き出すだけ吐き出したのだろうか、少しは落ち着いたらしい。
見計らったガストが、クラウドに向き直る。
「セフィロスに何を言われたのだね」
「好きだと――ずっと見つめてきたって。…愛してるって」
淡々とクラウドは答えた。
全てを知ってしまった今ならば解る。セフィロスの想いの重みを。
あんなに容易く受け入れてしまってはならなかったのに。
「君は…」
「クラウド。君はどう想うのだ?」
「…」
――どう想うって?
――フィーを!?
解らない。愛しているのかは。
でも絆されていたし、可愛いと思っていたのは事実。
全てを知った今でも、それは同じだ。
ただ受け入れてはならないと、離れなければならないのだと解ってはいるが。
不安定なまま考えを纏めて答えようとするよりも先に、宝条がまた割って入った。
「どう想うもなにも、どうするべきなのかは、初めから決まっておる!」
必要最低限のみの関わりで充分。好意などいらない。
「だが――そう決めつけるのは…」
「ガスト!そういう問題でないのは、お前が一番解っている筈だ」
「遺伝子的にはセフィロスはジェノバだ――」
「だから問題ないとは言えるが、道義としては大問題だ」
遺伝子?道義?
――何のことだ?
ガストと視線があった。
問いかけるクラウドに低く呻きながら、
「ルクレツィアの腹でジェノバ細胞を投与された受精卵の卵子は――」
一度目は失敗。これはルクレツィアの卵子。
二度目は成功。この卵子は誰のもの?
「クラウド。二度目に使った卵子は、君のお母さんのものだ」
「セフィロスの遺伝子はその9割以上がジェノバと同じだ」
よって現実としては、そうだとは言えないのだが。
「卵子の提供者だけを考えれば――」
「セフィロスは君の、父親違いの弟となる」
そして、
「どちらの受精卵も、精子の提供者は宝条だ」
セフィロスの父は宝条。
セフィロスの母は、クラウドと同じで…
――父親違いの弟だって!?
クラウドの為だけにその存在を許されている、異父弟?
「セフィロスは…――そのことを知っているんですか?」
「ああ、彼は知っているよ」


世界はこんなに素晴らしいのに。
どうして――残酷なのだろうか。
セフィロスに感じた官能は、あれは異父兄弟であり、ジェノバ細胞がリユニオンしたから?


数日後、クラウドはこの屋敷を去る。
セフィロスには会わないままの旅立ちであった。








END



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