ミルディールに派遣されている神羅軍部隊からの報告は、かなり深刻なものであった。
報告書を読んだセフィロスは、ミルディールに駐在されている神羅兵と直にコンタクトをとる。
軍という縦割り世界の中に置いて、軍の総大将たるセフィロスの元に、ソルジャーでもない遙か下の階級の兵士の報告が、そのまま上がってくることはとても珍しい。
つまりそれだけ、ウェポンに関することは特別なのだ。
ミルディール駐在部隊隊長と詳細について会話をした後、セフィロスはある一人の男にコンタクトをとることを決める。
クラウド・ストライフ――ハーフセトラ戦士にして、セフィロスがもっとも信頼と愛情と尊敬を寄せる唯一の男に。
彼は現在ミッドガルに滞在していたのだ。
ミッドガルのスラム中心部から離れた所に教会がある。
以前は人々が集い、この場所で敬虔な祈りを捧げていたのであろう。
そんな神聖な空間であった場所だが、それはもう過去のこと。今はすっかりと当時の面影はない。
屋根も壁も所々崩壊しており、床に至っては半分ほど床板がなくなってしまっている。
床板の下にあった土が剥き出しとなっていた。
だからといってこの教会は、廃墟ではない。
屋根も壁も床でさえも、最低限の修理はなされており、全体としては小綺麗に整えられている。きちんと人の手がいれてあるのだ。
そして何よりこの教会には他とは比べ物にならない素晴らしい宝がある。
それは花。ミッドガルには珍しい土があるこの場所で、本物の花が育てられているのだ。
赤、白、黄色――色とりどりの素朴な花たちは、この半分壊れた教会で、見事に咲き誇っていた。
この花たちの種を蒔き、水をやり、育てているのは、スラムで花売りをしている少女、エアリス。
いつもは笑顔を絶やさないエアリスだが、今は唇を引き結んだ緊張感で張りつめた表情をしている。
白い肌の上を一筋の汗が流れていく。
「エアリス。集中して」
エアリスは大きく息を吸い込んだ。
「ゆっくりでいいから――解るか?」
――わかる…
――わかるヨ。
エアリスの内に流れるセトラの血が、エアリスに伝えてくるのだ。
目は開けているが、緑の瞳は肉眼では見えざらぬものを映し出している。
それは光の糸だった。
もちろん本物の光から出来た糸ではなく、それにとても近いものを見ているのだ。
人の血管にも似ていた。また植物の葉脈にも似ている。
細い糸のようなものが、エアリスの足下に広がっているのだ。
「エアリス。もっとよく見て」
「視野を広げてみるんだ」
――広げる?
どうにかして言葉通りに広げてみようと試みるが、どうにも上手くいかない。
もどかしさで集中力が途切れそうになった時、ずっとアドバイスを送っていた人物が、そっとエアリスの手をとった。
エアリスの手よりも一回りは大きな手だったが、剣を振るう男の手にしては、感触が滑らかだ。
掌の皮膚は女の柔らかさはないが、何よりも心から信頼が出来る温もりであった。
――クラウド…
エアリスは彼の名前を胸にそっと落とす。
――エアリス…さあ、目を開けて。
本当のセトラの“目”を開けるんだ。
あの時、ウェポンの残骸を通じて、星とコンタクトをとった時のように。
――そうだ。
エアリスは記憶をたぐり寄せる。
あの時の感覚を。
心がゆっくりと沈み込んでいく。まず足下へと。そして床よりも低く。花たちが根を張る土の中へと。
地中深くすっぽりと収まってしまうと、何かに触れた。
――これ…なに?
そっと感覚を伸ばして触れてみると、その何かがさっき目にした光の糸であるのに気がつく。
さらにたぐり寄せるようにして、光の糸の行方を追いかけてみる。
光の糸は繋がっていた。しかもどこか一方のみではなく。
辿っていけば辿っていくほど、より長く果てがないほどに繋がり続けているのだ。
エアリスはタペストリーを思い浮かべた。
蜘蛛の巣だと思った。またやはり木の葉の葉脈に似ていると思った。
キラキラと輝いている光の糸は、何らかの模様を折っているのだ。
しかもよく観察してみると、平面のみの模様ではない。
模様は幾層にも重なっており、観察すればするほど、とても複雑な構造となっているではないか。
光の糸の織りなす複雑すぎる芸術作品に、エアリスはしばし状況を忘れて見入ってしまう。
――これは何だと思う?
エアリスを神秘的な芸術世界から引き戻したのは、クラウドだった。
何だと問われても、あまりにも圧倒的な美しさに、エアリスは何も考えつかない。
――とても、きれい。
――誰が、これ作ったの?
クラウドのくれた答えは、意外な人であった。
――君のお母さんだよ。
――母さんが!?
エアリスの母の名は、イファルナと言う。
最後の純血セトラの巫女であった。
エアリスの記憶にあるイファルナは、いつも自分の理想に住んでいるような人だった。
夫であるガストから、あれほど深い愛情を惜しみなく注がれていたというのに、とても独り善がりな愛しか返さなかった。
そんな母を好きで――嫌いだった。
おまけにイファルナは、娘にとんでもない呪いをかけたのだ。
自分と同じく、セトラの血を持つ男を愛するという呪いだ。
結果、イファルナとエアリスの親子は、母子二代に渡り、同じ父子に報われない想いを抱き続けているではないか。
まったく、ソープオペラにもならない無様さだ。
とにかくエアリスの記憶にあるイファルナは、セトラ戦士として最後まで戦いぬいたクラウドの父とは違い、自分の思い描く理想世界から現実へと出ないままの人だったのに。
それがこのように美しいモノを造り上げていただなんて。
――これ、何なの?
――どして、母さんは、これを造ったの?
疑問はとめどもなく湧いてきて、エアリス自身止めようがない。
――エアリス、全部説明するよ。
だから、
――今は意識を身体に戻してくれ。
エアリスは己の肉体を強くイメージする。
強く引っ張られる浮遊感に、身体に戻るのだと知った。
すぐ目の前に広がっていた光の糸が造り上げる芸術が、だんだんと遠くなっていく。
それがどことなく寂しいのは、気のせいなんかじゃない。
壊れかけた教会に残っている、堅い木のイスで、クラウドとエアリスは隣り合う。
さっきまで肉眼でないもので見ていた光の糸の芸術に、エアリスは興奮を隠せないままだ。
頬はバラ色に紅潮しており、セトラ特有の緑の瞳は、濡れたように輝いている。
隣あって座るやすぐ、エアリスは前に身体を傾け、矢継ぎ早にクラウドに迫った。
「あれ、何!」
「エアリスは何だと思う?」
「とても、きれいだった」
「タペストリーみたい。色んな模様がずっと続いていたヨ」
「キラキラしていて――」
「ああ!アレ、何だったの!」
エアリスは腰を浮かしながら、クラウドに飛びつかんばかりとなる。
静かに微笑みながらも、クラウドはエアリスの興奮が収まるのを待つ。
エアリスを見守るのも宥めるのも、クラウドにはお手の物だ。
なにせエアリスが幼い頃より、クラウドは彼女をずっと見守ってきたのだから。
「あれ、このミッドガルにあるのね」
「夢みたいにキレイだったけど、あれはホントにある」
そうよね。クラウド。
「そうだよ。エアリス――」
「あれは夢じゃない。幻でもないんだ」
「君のお母さんが、何年もかけてこのミッドガルの土地に直接張った結界なんだ」
結界の言葉に、エアリスはキョトンとする。
目を見開いて、次に疑念を露わにしながら考え込んで、やがて、
「母さん、魔法なんて使えなかった」
低く感情を押し殺して言う。
「それは違う――」
エアリスの表情には、母親に対する歪みがあった。
クラウドはエアリスの母、イファルナのことをあまり知らない。
ずっと仲の良い家族であると、疑問もなく信じ込んでいたのだが、それはクラウドが良く知っていたのがガストだったからなのだ。
ガストという温厚な人物の側面に立てば、すべての人は善人となる。
欠点はあれども、それは些細なこと。人が愚かであるのは罪ではない。
ガストは万事そういう考えの人だった。
そんなガストの妻と娘だから、絶対にガストのような人たちであるだろうし、家族仲もとても良いのだとすっかりと思いこんでいたのだ。
だが実際にイファルナとエアリスとを見てみると、実状はかなり違っていた。
確かに理想的な家族像とも言えるだろう。
家族をこよなく愛する父親。貞淑な妻。かわいい娘。
この表面だけをとれば、羨ましいくらいの家族の理想像そのものだ。
だが実際はといえば――エアリスは父も母も愛していたが、父を愛し人として尊敬すればするほどに、結果母への不信を溜めることとなっていたようだ。
なぜならば、イファルナはガストが彼女を愛するほどには、夫を愛していなかったのだから。
幼い頃は解らなかったこんな心の機微が、それとなく気づくくらいにエアリスが成長した時、ついにエアリスは母が父を愛さない理由を悟ってしまう。
母は、父ではない別の人を、ずっと想っていたのだ。
それだけでも信じたくはないのに、その上想い人に注がれる母の愛は、一方的でわがままでエゴイスティックで。おおよそエアリスが認められるような、愛や恋などではない。
そう、あれは恋心などではなかったと、エアリスは今でも確信している。
イファルナは憧れていただけなのだ。
純血最後の女性セトラという己を、安っぽい悲劇のヒロインに見立てていただけ。
だからこそイファルナが愛を注ぐ対象は、同じセトラでなければならなかったのだ。
別にクラウドの父でなくとも、良かったのだ。
――あたし、母さんのように、なりたくない。
あんなに深く愛してくれた父を差し置いて、身勝手な安っぽい陶酔に周囲を巻き込んで。
人の想いというものは難しいもの。
こちらがいかに想っていても、相手に伝わらないことなどいくらでもある。
だがそうであっても、自分だけは誠実であろうと、エアリスは決めているのだ。
――あたし、あんな愚かに、なりたくない。
クラウドが好きだ。
ずっと好きだった。今でもこの想いに変わりはない。
小さい頃からずっとクラウドのお嫁さんになれるのだと、とても誇らしかったのに。
エアリスの記憶にある一番幼いクラウドは、とてもきれいで可愛らしかった。
男の子だなんてとても信じられない。
いや、自分と同じ血肉が通っているとは、理解できないくらいだった。
成長してクラウドは大人になる。でも昔以上にきれいなままで。
こんなにきれいで強くて優しいハーフセトラの戦士と結ばれることに、エアリスは満足していたのに…
クラウドは――エアリスを選んでいない。
この現実が重くのしかかり、余計に母への感情を複雑にしていくのだ。
エアリスは、己の負の感情を抑えることなく、続ける。
「母さん、何もセトラらしいこと、しなかったヨ」
いつもの朗らかな少女とは懸け離れたエアリスの様子に、クラウドはこの母娘の根深さを思い知らされる。
エアリスは頑なだ。だがどうしてもクラウドは、エアリスの誤解を解かなくてはならない。
イファルナの後継となってもらう為にも。
「それは誤解なんだ」
「――とにかく、オレの話を最後まで聞いて、エアリス」
好意を持つ相手に懇願されると、弱いものだ。
視線こそズラしはしているものの、エアリスは押し黙った。
「いいかい――前にも話したけど、エアリス。君にはセトラの巫女の血が流れている」
それはつまり、
「君のお母さんが、最後のセトラ純血の巫女だったということだ」
――そこまでは解るね。
このことは歴然たる事実だ。エアリスは認めるしかない。
エアリスが渋々ながらもちゃんと納得するのを待ってから、クラウドは先を続けた。
「君のお母さんは、最後の純血の巫女でありながらも、魔法はほとんど使えなかった」
「でも魔力は充分に備わっていたんだよ」
――え?
「ウソ!」
「魔力があれば、魔法は使えるヨ」
「それが、使えなかったんだ」
「でも、確かに高い魔力は持っていたんだ」
「どして?」
「理由は不明だ」
ただ、
「たぶん精神的な問題だろうと、父さんやガスト博士は言ってた」
「精神的…?」
母は何らかの枷を自らの心に填めていたと言うのだろうか。
その枷こそが、魔法を使えなくしていたと。
でも、結局は魔法が使えなかったのだとすれば、
――やっぱり、おかしいヨ。
エアリスはクラウドをちょっと睨み付けて、
「魔法、使えないんだったら、あれ、やっぱり母さんが造ったんじゃないんでしょ」
あくまでも頑なエアリスに、クラウドは再び懇願する。
――だから、
「エアリス――、最後まで話を聞いてくれ」
渋々エアリスは口を閉ざす。
そして話は再び戻った。
「君のお母さんは、魔力はかなり持っていた」
「オレの父さんは、その魔力を使って人の住んでいる町に結界を張ることにしたんだ」
ウェポン除けの結界を。
「あれ!結界なの!?」
「そうだよ――」
「君のお母さんの魔力を使って、編んだ結界なんだ」
クラウドの話は過去へと遡る。