背後からクラウドを支えたセフィロスは、礼の言葉に小さく頷いて応える。
美しすぎて血肉を感じさせない無機質な美貌が、僅かに緩んだのをクラウドは見逃さない。セフィロスはクラウドを支えたままで、傍にあった椅子に座らせた。
「っ…」
軽い痙攣が痛みとなって走る。
顔を歪めたのをセフィロスは咎めた。
「痛いのか?」
「足が…ちょっとだけ」
「どちらの足だ」
「左だけど」
「こちらか」
完璧な美貌が憂いを含む。
彼は、クラウドの感じたであろう痛みに、敏感に反応しているのだ。
そこまでも心を砕いて貰っているのだと実感すると、改めて恥ずかしくなってしまう。
生まれ落ちて物心がついて以来、クラウドはハーフセトラの戦士として生きてきた。
家族以外に、ましてやハーフセトラではないクラウド・ストライフとして、他人にここまで心を注がれたことはない。
セフィロスはクラウドが座っている椅子のすぐ正面で、腰を下ろす。床に直に座り込んだ。
大きな手がクラウドの左足首に触れる。
動かない表情。血肉を感じさせない美貌。だがこの無機質な美貌の裏には、クラウドを心配する豊かな心が流れているのだ。
思いの外暖かい体温を足首に感じて、恥ずかしさはピークとなる。
「いや…、もうなんともないから」
セフィロスの手から逃れようと、左足を引くが、それは許されない。
「ダメだ」
「ただの筋肉痛だし」
「筋肉痛がするということは、それだけ筋肉を酷使しているという証明だ」
そりゃ、そうだけど。
「マッサージをする」
揺るがない断言をすると、セフィロスは座っても余っている長身を折り畳みながら、リハビリ用に履いている柔らかくて軽いシューズを、左足だけ優しい手つきで脱がせてしまう。
ずっと眠って漂っていたクラウドの足は、9年余りもの間全く使用されてはいなかった。
その為、足の裏は皮膚が薄く、驚くほど柔らかくなってしまっている。
裸足にしてしげしげと眺める。
足の指先と足首と踵とが、ほんのりと紅い。
――!
食べてしまいたい衝動に絶えるべく、セフィロスは小さな左足を己の太股の上に置く。
置いた足を引かれないように手でそっと押さえると、かなりゆとりのある綿のズボンの裾を、丁寧に折り畳んでいった。足首から折り畳み初めて、太股までを露わにしたのだ。
これでクラウドの左足は、付け根近くまでセフィロスの目の前にさらけ出される。
己の手首よりも細い足首を掌で包むと、ゆっくりと揉み始めた。
「…あ……」
クラウドが小さな声をあげる。
反応を窺うべく覗き込んだ先にあったのは、ゆるく開く唇だ。
粒の揃った白い歯が覗く。
その奥には、唇よりも赤味の強い舌が垣間見えた。
初めて目にするクラウドの一部分に、セフィロスは酩酊する。
――こんな所まできれいに出来ているのだな。
口腔だけではない。
今セフィロスの手にある足もそうだ。
足の大きさは男性の普通サイズはあるだろうに、形が整っているからなのか、作り物のように思えた。
きゅっと締まった足首。骨の辺りの皮膚がほのかに紅い。
足首から脹ら脛にかけての緩いカーブには、ため息が出る。
脹ら脛の一番太いところでも、セフィロスの手で握り込むことが出来た。
幾度かさすってみると、筋肉が緊張している部分を発見。
手の位置を変えて、指ではなく、掌で慎重に圧迫してマッサージをする。
硬く緊張していた筋肉が、ほどよく解けてきた頃合いを見計らって、再びクラウドの様子を観察した。
セフィロスのマッサージが気持ちよいのだろう。
クラウドはすっかりとセフィロスに左足を預けてしまっている。
緊張している筋肉を押すたびに、眉根が寄るのは痛みからだけではない。
よく美しいと他人から評される。
セフィロスの美しさこそ完璧なのだと。
どこをとっても欠点などひとつもない。これ以上は望めないパーフェクトさだと。
だがセフィロス自身は、己を美しいとは思わない。
何故ならば、目の前にいるクラウドこそが、セフィロスの理想とする“美しさ”そのものなのだから。
セフィロスがクラウドに魅せられる根本は、とてもシンプルなもの。
そもそも人形だったセフィロスに魂を。つまらない世界に鮮やかさと官能を与えたのはクラウドなのだ。
クラウドこそがセフィロスの理想なのは当然すぎる。
目覚めて動き始めたクラウドは、カプセルに漂っていた頃のようにきれいなだけではない。
美しくて、きれいで――可愛らしい。
何をしようともゾクゾクするくらい官能的だ。
こんな素晴らしい彼とこうして共に過ごせる幸せさに、セフィロスは酔う。
脹ら脛の筋肉の緊張が解けたのを確かめてから、セフィロスの手は上へと向かう。
掌が捉えたのは、滑らかな膝。
薄い桜色の皮膚の下に、うっすらと骨が浮かび上がっている。
そうここも、ほんのりと紅い。
足の指先。足首。踵。そして膝と。
蜂蜜色の肌に点在する、ほんのりと紅い部分は、食べてしまいたくなるくらいに可愛らしい。
ついカプセルの中で漂っていた頃の、クラウドの足と比べてしまう。
漂っているだけで全く使っていなかった足は、筋肉がすっかりと落ちており、全体として骨が浮き上がっていた。
足の付け根、太股から足首まではほとんど太さが変わらず、骨ばかりが目立っていた足は、人間というよりは植物めいていたのだ。
まるで――茎のようで。
それが現在、カプセルから出て、ポッドへと移り、ポッドも出てリハビリを始めているクラウドの足をこうしてまじまじと観察してみると、改めて彼の回復ぶりがはっきりと伝わってくる。
足は相変わらず細いが、もう茎ではない。
セフィロスよりもずっと華奢な骨組みの周りには、筋肉がつきかけている。
植物とは明らかに別種のしなやかさと伸びやかさがあり、クラウドが本当に生きているのだと、強く訴えかけてくるのだ。
一番筋肉のよくついている太股に手を置くと、はっきりとした脈動を感じた。
唐突に、セフィロスの手が止まる。
急に動かなくなったセフィロス。
左太股に手を置いたまま、じっと固まっているのだ。
足にずっと触れられたままでいるというのも恥ずかしいが、それよりもセフィロスの様子が気になる。
「おい!?…どうした?」
セフィロス――と名を呼びながら、逞しい肩に触れようとしたが、やはり戸惑う。
――触れても良いんだろうか…
セフィロスはクラウドに、気安い心配など求めているのだろうか?
思ったことを大して考えもせず行動に移してしまうのには、クラウドの馴れ合えない性格と、セフィロス自身のことをまだ何も知らないのだろいう現実が、どうしても邪魔をする。
中途半端なままの手をどうすれば良いのか――迷ったままでいると、不意にセフィロスがその手を引く。
「――!」
急に引かれて前のめりになった腰を、セフィロスの長い腕が捉えて、抱いた。
そうなると自然と二人の距離がゼロになる。
セフィロスの顔の位置は、クラウドの腹の上、胃の部分に埋まった。
「セフィロス――!」
思わず上げた声に応じるように、腰を拘束する腕の力が強まってくる。
更に二人の距離は縮まり、クラウドの胸から足先までは、セフィロスとピッタリと合わさってしまった。
父にならば、母にならば、抱きしめられたこともある。幼い頃であったが。
他人と――ましてや正体すら何者かすら知らない相手に、こんなにピッタリと抱きしめられるなんて。
怒れば良いのか。
突き放せば良いのか。
ヤメロ、と抗議すれば良いのか。
それとも――クラウドも、抱きしめれば良いのか。
パニックになるクラウドの耳元に、小さな声が飛び込んできた。
「――…ありがとう」
「!?」
「クラウド、ありがとう――」
「よくぞ、よくぞ目覚めてくれた」
「こうして俺の傍にいてくれて」
生きて、動いて、笑ってくれて。
「俺は――感謝する」
強いだけだった腕が、繊細な力加減に変わった。
拘束するには充分だが、クラウドに痛みを与えないものだった。
――泣いてる…のとは違う。
あまりにもピッタリと合わさりすぎていて、クラウドからセフィロスの表情は窺えない。
でも、彼は泣いているのではなく。
また、感極まっているのでもなかった。
あくまでも平静で淡々とフラットに。いつもの通り感情の窺えない音声だ。
――じゃあ、なんだ!?
セフィロスはどうして感謝などしているのか。
「どうしたんだよ」と混ぜっ返すのには、あまりにも荘厳な、この言葉を伝えてくる彼の本心とはどこにあるのか。
記憶という誰でも持っている端末を使い、過去、この状況に似ているシーンを検索してみる。
当てはまるものは――あった。
父がよく言っていた言葉が、確かこんな響きをしていた。
淡々と、フラットでありながらも、荘厳で神聖だった。
あれは確か…
――祈りだ!
――祈っている時だ。
失われて久しい星の声を探し求めている最中に、父はよくこんな風に語っていた。
父のと同じだとすれば、セフィロスは祈っているのだ。
祈りを捧げる対象がなんなのかは解らない。
もしかしたらクラウドに祈っているのかもしれない。
もしかしたらはっきりとは形にならないものなのかもしれない。
はたまた、実はセフィロス自身にも、誰に感謝して祈っているのか解っていないのかも知れない。
だがこれが祈りなのだと悟った瞬間、全身が総毛立つ。
怖気ではない。歓喜が全身を痺れさせたのだ。
次に襲ってきたのは衝動。
クラウドは今出せる力全部で、自分よりも大きな背中を抱きしめる。
父や母がいない今、クラウドの為に祈ってくれる存在が、ここにいる。
「オレ――…生きている。もう死んだりはしない」
クラウドの力は、セフィロスの全身を包む。
「本当か?」
「本当に…生きて、俺の傍にいてくれるか?」
――これからも、ずっとずっと。
なんて可愛い子なんだろう。
こんなに一心にクラウドを求めてくれるなんて。
「ああ――」
「絶対か?」
「約束する」
「――約束…?」
「約束がイヤならば、誓ってもいいよ」
約束と誓い。
言葉の重みとして、どちらが上でどちらが下かなんて、どうでもいいが。
セフィロスの好むようにしてやりたかった。
この逞しくて美しくて、可愛い子供を安心させてやりたい。
抱きしめていた手で、広い背中を撫でる。
すると腰に腕を回したままで、セフィロスが顔を上げた。
縦に裂けた翠の瞳には、クラウドしか映っていない。
感情の揺らめきが現れにくい瞳は、やはり水晶――鉱物に思えた。
クラウドを求める心を隠しもせずに、セフィロスは見つめる。
「約束でも誓いでもどちらでも構わない」
セフィロスは言葉遊びをしたいのではないのだから。
ただ――
「どちらでも良いが、証が欲しい」
「証……って?」
「俺とずっと共に生きてくれるという証だ」
尻を床から上げて、セフィロスは膝立ちとなった。
椅子に座っているクラウドと、膝立ちのセフィロス。こうなると二人の高さは逆転してしまう。
長身のセフィロスが、クラウドよりも高い位置となった。
「証をくれ」
真っ直ぐに突き付けられてしまうと、良いとか悪いとかではなく、クラウドは頷くしかない。
ただでさえ近くなった美麗な顔が、グッと傍に来て。更にもっと――
腰は右手で抱かれて、左手がそっと小さな顎を掬う。
何――と感じる間もなく、セフィロスの薄い唇が近づいてきて、重なってしまった。
それはほんの数秒のこと。
重ねられた唇は、さも愛しげに啄んでいったのだ。
――っ!?
思考が停止する。
口づけられたのだと思い当たった時には、二度目のキスがやってきていた。
二度目のキスは、もっと甘い。
唇全体をチュっと吸われる。
三度目のキスは切なかった。
唇を合わせたままで、声もなく「クラウド」と名を呼ばれた。
四度目のキスは、これまでの三度とは全く違っている。
唇ではなく舌先で、口角までを舐められたのだから。
予想外の展開に、青い目を見開くしか反応出来なかったクラウドだったが、四度目のキスに全身が応じる。
身体に火が点く、というのは、これを指すのだ。
それ程までに、セフィロスのキスは官能的すぎる。
身体の中心に血が集まってくる。思わず、股間が反応しそうになった。
――それは、ダメだ!
イヤとは思わなかったが、ダメだと思う。
後から振り返ってみれば、ここに本質があったのだ。
セフィロスのキスに感じる己は、イヤではないがダメなのだ。
不器用なクラウドにとって己の性とは恥ずべき事。股間が反応するなんてとんでもない。生理なのだから仕方ないが、秘め事として隠すべき事。
特に、他人に気づかれるだなんて。
焦って身体を離そうと藻掻くクラウドを、セフィロスは許さない。
力で、言葉で、縛り付ける。
「クラウド――これは証だ」
当然のようにやってきた五度目のキスに気が遠くなった。