sensual world

裏側の世界シリーズ


クラウドのモニタリングに異変を嗅ぎ取ったガストや宝条、他の研究員達が飛び込んでくる。
魅入られたままで突っ立ているセフィロスを押しのけると、慌ただしく処置が行われた。
強化ガラスから青みがかった培養液が抜き取られていく。
浮かんで漂っていたクラウドの身体が、ゆっくりと落ちるようにして沈み込み、暫くすると底についた。
青みがかった培養液から抜け出て、白光する照明に浮かび上がったクラウドは、セフィロスが想像していたのよりもずっと澄み切っていた。
透き通る白い肌はセフィロスのそれとは違い、無機質な白ではない。透明感のある瑞々しい肌は、照明の下で淡い蜂蜜色に映る。
ぐっしょりと濡れた金髪は、混じりけのない本物の金。今は研究室の押さえた照明しかないが、太陽の発する自然光の下でならば、さぞや眩く煌めくだろう。
すっかりと筋肉がそげ落ち、最低限の栄養しか摂取出来ていなかった身体は、培養液に浮かんでいた時よりもやせ細っているように感じた。
所々には痛々しく骨さえ浮き出ていたが、セフィロスはマイナスには思えない。
むしろクラウドの緻密な繊細さを強調しているだけでしかない。
そう――彼は浮き出た骨でさえもきれいだ。
青い培養液の水滴が、蜂蜜色の肌の上を滑っていく。
ほらまた、一滴。金髪から滴が滑っていった。
濡れた後ろ髪から零れた滴は、浮き出た背骨の間をぬって流れていき、肉の落ちた尻へとするりと滑り込む…
――…!
血が燃え上がる感覚を初めて知った。
そして、身体の一点へと熱が凝縮していく。
ペニスが下着の奥でじんわりと勃ち上がっていった。
己のあからさますぎる反応に戸惑うセフィロスの前で、研究員の一人が宝条の指示により、力のないクラウドを背後から抱きしめるように抱え込む。
――触るな!
はっきりと、セフィロスは嫉妬する。
考えるよりも先に、身体が動く。
研究員を片手で引き剥がすと、入れ替わるように憧れていた人を抱きかかえた。
「……セフィロス?」
目の前で行われたこの意外な行動に、動じない宝条も驚きを露わにする。
セフィロスによって手荒く押された研究員が、呻きながら起きあがるのを確かめてから、宝条は辛辣な文句を発しようとしたが、そこにガストが割って入った。

ガストはセフィロスの持つクラウドへと傾ける心中を、当人以外では一番的確に理解していた。
何せ、セフィロスを眠り続けるクラウドと引き合わせたのは、ガストなのだ。
その後、クラウドについて語って聞かせたのもガストなのだ。
もっともこの時点では、セフィロスの真意までは理解してはいなかったが…
ガストはさも大切そうにクラウドを抱え込むセフィロスに、
「すまないが、セフィロス――」
「クラウドを隣の部屋のポッドまで運んでくれないかね」
慎重に話しかける。
骨の浮き上がった細い肢体は、セフィロスにとっては儚い重みでしかないが、だからこそこの上なく貴重なのだ。
ぽっかりと青い瞳を開けたまま、瞬きさえしないクラウドを、そうっと抱き上げる。
そして、
「どのポッドだ」
「こちらだよ」
ガストが合図すると、宝条以外の研究員達が別室へと小走りで向かっていく。
まだ立ったまま自分を睨んでいる宝条へと鋭い一瞥を投げかけてから、セフィロスはやっと目覚めてくれた掛け替えのない宝石を抱いて歩き始めた。


ずっと漂っていた強化ガラスのカプセルよりも、一回りは小さなポッドをガストに指示される。
中を覗き込むと、用途が判別出来ない程の装置がぎっしりと埋め込まれていた。
ポッドの中央、装置の間に埋もれるように、椅子のカーブがある。
「そこにクラウドを座らせてくれ」
指示に従うべく、セフィロスはクラウドを抱いたまま、半身を狭いポッドへとこじ入れる。そうしてから、細い蜂蜜色の肢体を細心の注意を払い、そっと椅子のカーブへと置く。
セフィロスからすればこのポッドは狭すぎるが、こうして置いてみるとクラウドにはジャストサイズだった。
クラウド専用に造られたポッドなのだ。
身体をポッドから出す前に、指の腹で頬に触れる。
――クラウド…
――目覚めてくれて、ありがとう。
素直に感謝出来た。
肌理の柔らかな頬は、それでもかなりの肉を失い削げている。
触れながら感謝を込めて祈る。
――早く、俺を見てくれ。
するとどうだろうか。
何も捉えていなかった茫洋とした青が、焦点を結んでいくではないか。
すぐ傍にある、セフィロスの長い指を映してから、おぼつかない眼差しは指から手へと。手から手首。そして腕へ。
腕をゆっくりと辿り、ついには持ち主へと。
クラウドの瞳はセフィロスへと注がれる。
「…ク・クラウ、ド」
情けなく震える声で呼ばれた自分の名に、クラウドは反応した。
彼はほのかに笑った。
セフィロスを見て、セフィロスへと、微笑んだのだ。
セフィロスの世界は一杯になる。


クラウドの入ったポッドは、リハビリの為のものだった。
ポッドの中でほとんどしていなかった肺呼吸と、ずっと浮かんでいた為関係なかった重力に慣れていくのだ。
クラウドが眠っていた期間はそれだけ長い。
いくらハーフセトラであるといえども、ジェノバ細胞を移植されていなければ、クラウドは永遠に普通の生活になど戻ることは出来なかっただろう。
ジェノバ細胞は肉体の再生だけではなく、その点でもクラウドを救った。
ポッドに入ってから二ヶ月後、クラウドはポッドから出て己の足で立つ。
ウェポンに襲われてから、実に丸9年以上の歳月が過ぎていた。


ようやくポッドから出られたとはいえ、まだまだリハビリは途中だ。
神羅屋敷の一角に与えられたクラウド専用のリハビリ室は、外からの光を多く取り込める設計となっている。
クラウドはここでひたすら歩く。歩いて、歩いて、歩き続ける。
リハビリコースである簡単な階段を上り下りして、勾配を踏みしめていく。
まだ飛んだり跳ねたりは下手だ。筋肉は復活しつつあるが、身体のバランスが良くない。重力に慣れていないためだ。
壁伝いに備え付けられているバーを握りしめ、歩き出そうとすると、汗が目に入ってきた。
拭おうと右手を挙げたところで、バランスが崩れてしまう。
左手で強くバーを握り直そうとした身体を、誰かが支えてくれた。
誰かが、なんて嘘。
気配もさせずに近づいて、支えるなんて出来るのはたった一人だけ。
クラウドのよりも長い腕が、背後から包んでくる。
ぎこちない声帯を震わせ、滑舌がまだ戻っていない口と舌を駆使して、ゆっくりと礼を述べた。
「セフィロス…ありがとう」
身長はすでにクラウドよりも高い。手も大きく腕も長い。
おまけにこの恵まれた体躯。筋肉の束は互いの衣服越しにでも充分に伝わってくる。

セフィロス――彼の存在にクラウドはまだ慣れていない。
見事な銀髪。縦に裂けた不思議な翠の瞳。
まだ若々しい匂いがするものの、奇跡のような美丈夫だ。
9年余りカプセルに漂っていた間の記憶はない。ずっと夢を見ていたような気がするだけで。
ただし、ポッドに移されてからのことは、大抵は覚えていた。
その記憶にいつもいたのが、このセフィロスだったのだ。
全身で自分を見つめていたあの眼差し。あの眼差しには意味があった。
――あれは…誰だ?
あんな桁外れな人物など、クラウドは知らない。
一度目にすれば、忘れられる筈などないのだから、会ったこともすれ違ったことすらないのには、自信がある。
ポッドの中にいるクラウドであったが、会話をすることは出来た。
外の会話を聞くことも出来るし、クラウドの声もマイクを通して外へと届く。
ポッドという狭い世界にいながらも、クラウドは隔絶されずにいたのだ。
セフィロスはだいたい決まった時間に訪れていた。
でも、彼からは口を開こうとはしない。
クラウドを凝視する強くて深い眼差しにいたたまれなくなったのは、クラウドだ。
無言でいられずに、つい話しかけてしまう。
「……おはよう」
まずは当たり障りのない挨拶をしてみる。
舌がまだ上手く回らないから、「は」の音が「あ」に近い音になってしまう。
セフィロスは少し眉を顰めてから、
「――ああ…」
とだけ返してくる。
そしてここで会話は途切れてしまうのだ。
途切れてしまった会話をどうすれば良いのか。対人関係のスキルが低いクラウドは、更に居心地が悪くなってしまう。
会話もする気がないのならば、どうして毎日何度もやってくるのか。
セフィロスに怒りさえ覚える。
だが、互いにぎこちない不器用な遣り取りを繰り返す内に、クラウドはある考えに思い当たる。
――もしかして…
――セフィロスはこういう遣り取りをしたことがないんじゃないのか?
他人とコミュニケーションをとる努力をすること。
会話を挨拶という糸口から、組み立てていく術を。
美しすぎるこの青年は、人が集団で過ごすノウハウを知らないのだ。
思い当たったことが事実だと気が付いた瞬間、クラウドはセフィロスという存在を、やっと好意的に受け止めることが出来た。
この前提で彼の行動を観察してみると、とても解りやすい。
クラウドの言葉に必要最低限でしか応じないのは、ないがしろにしているのでもなければ、面倒だと思っているのでもない。
――ひょっとして、照れてる!?
セフィロスは照れているのだ。
恥ずかしさで手一杯となり、自分の内に起こる感情の波に対処しきれない。
結果言葉少なになり、冷淡に見える態度をとってしまう。
実はあれで精一杯の反応なのだ。

そこから先はすんなりといけたと思う。
ある朝、やってきたセフィロスに向かって、いつもの通り挨拶をする。
これ又いつもと同じく「ああ…」とだけ返してくるセフィロスに、
「セフィロス――」
「こういう時は、セフィロスもおはようって返すんだよ」
身体は充分に大人なのに、彼はやはり子供だった。
挨拶の返し方を説くクラウドに、水晶玉そっくりな目を見開く。
縦長の特徴的な瞳孔が、大きく開かれたのがはっきりと見て取れた。
――かわいい子供だな。
本当の年齢など知らないが、クラウドよりも年上というのではないだろう。
子供だと思って接してみれば、セフィロスが可愛い子供に見えてくるから不思議なものだ。
「さあ、言ってみて」
「――…お、おはよう」
「うん。おはよう。セフィロス」
良くできました、と頷くと、セフィロスの口角が緩いカーブを描く。
彼は、笑ったのだ。表情の変化は大きくはないが、クラウドにとっては充分だった。つられて、クラウドも微笑む。
形容できない“共感”が、二人の間に生まれた。

共感の中で、クラウドは父を思い出す。
父が死んだのは、聞く前から解っていた。
9年前の最後の記憶は、クラウドを庇う父の背中だったのだから。
いつもクラウドを護ってくれていた広い背中は、ウェポンの攻撃によって焼かれていったのだ。
父の肉体は永遠に失われてしまったのだ――焼き切れる前の最後の感情がこれだった。
目覚めてすぐ、ガストが父の最後を語ってくれた。
父の身体は完全に炭化した上に、粉々になるまで破壊されていたのだと言う。
再生させようにも、どうしようもなく不可能なくらいまでに。
そう聞いても、悲しくはなかった。
何故ならばクラウドは、肉体を失った父の気配をずっと感じていたからだ。
セトラの教えにこういうのがある。
死者は皆、ライフストリームという大きな流れのひとつになるのだと。
ライフストリームは循環して、最後には星に還るのだと。
星が狂ってしまった今となっては、ライフストリームがどれだけ循環して、本当に最後には星へと還っていくのかなんて知らないが、父の魂と呼べるべきものは消滅していず、今も尚クラウドはどこかで父と繋がっている。
父の気配は記憶のない再生への眠りについている間も、ずっと共にあったように思う。
そして今も、セフィロスというこの見知らぬ青年との間に、共感が生まれたこの時にも。
理屈ではない、もっと深い所でクラウドは受け入れたのだ。
セフィロスというこの美しく可愛い子供を。

9年も眠ったままだったのにも関わらず、クラウドの機能はどこも狂ってはいなかった。
一番心配されていた脳の働きは、説くに万全だった。
よってポッドから出るとすぎ、身体の機能訓練が始まる。
思い通りにならない身体を引きずって歩くクラウドの元へと、セフィロスは毎日書かさずにやってきた。
「おはよう」
挨拶すると、クラウドを見つめてからゆっくりとした口調で返ってくるようにもなった。
そして挨拶はすぐに習慣となる。
セフィロスは無口だ。クラウドのように不器用すぎて口数が少ないのではない。
彼は話す必要を感じていないから、話さないだけ。必要があるとセフィロスが判断した時には、己の考えをしっかりと言葉にして伝えるスキルをちゃんと持っている。
クラウドが汗を流し、重い体と戦っている様子を、セフィロスはいつもじっと見つめていた。
不必要な言葉は一言も差し挟まない。瞬きさえ、文字通り惜しみながら、銀髪の美青年は、全神経をクラウドへと注いでいるのだ。
そしてクラウドが力果てた時には、いちはやく駆けつけてくる。
今もそうだ――




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