紅茶のシフォンケーキとグレープフルーツジュースをきれいに食べ尽くしてから、エアリスはやって来た時とはうって変わったサッパリとした表情で帰っていった。
見送った後、ティファを襲ったのは虚しさだ。
後かたづけすら出来ずに、椅子に座ったままのティファは、店に飾られた花をずっと眺めている。
エアリスの花を。
花はやはり可愛らしい。きれいだし、こうして眺めていると心安らぐ。
でも、
――私には、資格がないわ。
この花を楽しむ資格など、ないのだと。
――普通の友人として、出会えたら良かったのに…
エアリスは良い子だ。
おっとりとした性質は、どんな事情があるにしろ、エアリスが愛されてきたのだと証明している。
女の子らしい愛らしさに溢れていて――やはり眩しい。
泣いているエアリスを見つけた時、わき上がってきたのは何か神羅の情報が掴めるのではないか、という下心だった。
あわよくばという浅ましい気持ちだったのだ。
それがどうだ。エアリスが恋に悩んでいたなんて。
なんと可愛らしいことだろうか。
その上、ケーキとジュースで元気になるだなんて。
――エアリス…ごめんなさい。
項垂れる背中に、バレットが近づいてくる。
バレットはティファの同志。
もちろん繊細な少女などではなく、無骨な男でしかないのだが、それでもティファの気持ちを察することくらいは出来た。
ただしいくら察してやれても、どうにも出来ないのが現実なのだが。
「…ティファ――」
「なんでもないわ。心配しないで」
そう、まだ忘れてなどいない。
村を焼かれたあの日を。
父を殺されたあの日を。
まだ幼かったティファが記憶しているのは、村人達が倒れ、死に絶えてしまい、無惨な死体でさえも炎に包まれていく地獄絵図だ。
優しかった隣のおばさん。早くに亡くなった母親の代わりとなってくれていたその人が、血にまみれて動かない。
頭をよく撫でてくれていた手も、血で真っ赤で。
遠くで生きながら焦げているのが父だった。
(ティファ!逃げろ…)
自分が焼けているのだというのに、それでも父はどうにかしてティファを救おうと足掻いていたのだ。
でも血と生き物が焼かれていく臭いが、怖くて怖くて――ティファはその場から動けなくなってしまう。
意識すると余計にその生臭さばかりが襲ってきて、ティファは道に嘔吐した。
それは――己の肉が焦げる臭いだった。
ここから先に記憶はない。
気が付いた時には、ティファが師事していた高名な武闘家ダンカンの元にいた。
ダンカンは村がティファを除いて全滅したことは教えてくれたが、その原因については何も話してくれなかった。
ダンカンの元に出入りしていた人たちから聞かされたのは、全ては神羅が引き起こしたものだということ。
ティファは神羅に復讐を誓う。
こうして反神羅組織アバランチのティファ・ロックハートが誕生したのだ。
――エアリス。ごめんね。
エアリスが不幸になるだろうと解っていても、ティファは復讐を止めるなど出来ない。
あの臭い――父のおばさんの、そして己の肉が焦げる臭いが残っている間は、忘れられないのだ。
ティファがエアリスにフレッシュなグレープフルーツジュースを作っているのと同じ頃、廃墟となっている教会にいるクラウドを求め、やってきた男がいた。
エアリスがいなくなったのを見計らったかのようなタイミングに、クラウドは苦笑するしかない。
電話での遣り取りで、クラウドの様子がおかしいのを気にしてやってきてくれたのだろう。
冴え冴えとした銀のシルエットの持ち主は、当然のようにクラウドを抱きしめてきた。
ぎゅっと一度力を込めて抱きしめた後、金の髪に口づける。
それから長身を屈めて頬と唇へと軽い口づけを贈った。
「やはり一人だったんだな」
さっきのクラウドとの電話でそうではないかと予想はしていたが。
いつもならばこの教会でクラウドに近づこうとした途端、ぎゃんぎゃんとわめくうるさい小娘がいないとは珍しい。
クラウドと二人きりになれる機会を、みすみすエアリスが放棄するとも考えられないし。
導き出される答えはひとつ。
――何かあったな。
第一、 エアリスがいないのを抜きにしても、クラウドの様子がおかしすぎる。
自分にエアリスの話をしにくいであろう愛しい人を思い、セフィロスはわざわざクラウドの顔を己の胸に埋めさせる。
顔を直視しないように、と。
クラウドの呼気が露出した胸に当たるのを確かめてから、セフィロスはゆっくりと自分の考えを口にする。
「あの娘に、結界の話しをしたのか」
「――…したよ」
これだけで充分だ。
セフィロスは全てを察する。
――あの娘…
小うるさいとは思っていたが、まさかここまで愚か者だったとは。
己がセトラの巫女であるという、クラウドと対になれるべき最高の権利を自ら捨て去ったのだ。
エアリスが本当にクラウドを想うのならば、彼の役に立つべきではないか。
戦士であるセフィロスには、実際の行動を起こしてみる以前の拒否など、到底信じられない。
それになによりも、
――俺が代わってやりたいくらいだ。
エアリスにしか結界を張れないのだと知り、セフィロスがどれだけ腹立たしく歯がみしたことか。
お前だけにしか出来ないんだ。頼む。
こうクラウドに求められながら、拒否するなど。
――小娘は所詮、役に立たないうるさいだけの存在でしかなかったのだな。
セフィロスは恋敵の愚かさを、内心せせら笑う。
そう、恋敵としてはこのエアリスの愚かさは、むしろ好都合だと言えるだろうが、星やウェポンと戦う戦士としてのセフィロスは、状況を冷静に組み立てていた。
「あの娘は、結界を張るのを拒否したのだな」
「いや――拒否ではないと思う」
ではなんだ?
エアリスへの不信感をいっぱいに表したセフィロスを前に、クラウドは己の考えを述べてみる。
「エアリスは、戸惑っているのだと思う」
――そうだ。だからあんなことをつい口走ったんだ。
結婚だなんて。
エアリス自身だって現実味がないのだと解っているのに。
「戸惑う?何をだ?」
「戦いに参加することだよ」
「戦いか?」
セフィロスはあざ笑うしかない。
生まれて物心ついてすぐより、常に戦いを宿命づけられてきたセフィロスにとって、戦いに参加するのを戸惑うだなんて、理解の範疇外なのだ。
それに、
「あの娘は、戦うのが怖いのか?」
――あの娘は、全く…
「あの娘が先陣を切ることなどないだろうに」
結界を張るだけなのだ。
もっとも、結界を張るのは必ずしも安全とは限らないが、クラウドやセフィロスがエアリスの身を護るのだ。
どこに恐れることがあるという。
しかもエアリスは偶然とはいえ、一度ウェポンと戦っているのだし。
「違う。そういう意味じゃない」
「エアリスは戦いが怖いという理由だけで、戸惑っているんじゃないんだよ」
戸惑い=恐怖ではない。
エアリスとイファルナ母娘の葛藤とわだかまりを、どう説明すれば良いものか。
クラウドは言葉を探しながら続ける。
「母親と同じことをするのに戸惑っているんだよ」
「なぜだ?」
「同じセトラの巫女なのだ。同じ能力を有しているのだから、同じ事を要求されても仕方ないだろうに」
こういうセフィロスの思考回路は相変わらずだ。
このしがらみのないシンプルさで、セフィロスはクラウドを求め追い続け、結局手に入れたのである。
だが残念ながら、セフィロスのロジックはエアリスには当てはまらない。
当てはまれば、話はもっと容易かったのだが。
「エアリスは、自分の母親が好きで――キライなんだよ」
「別に憎んでいるんじゃない――」
だって自分の母親なんだから。
「でも、大好きだとも言い切れない」
「それは――曖昧だな」
「そうだよ。この曖昧さが、エアリスを戸惑わせているんだ」
エアリスのことをとても理解している風なクラウドに、好奇心が揺れる。
「お前はどうだったんだ?」
オレ?
「父さんのことか?」
「そうだ」
「そうだな、オレは――」
「父さんと共に戦うのが当然だと思いこんでいたから、セトラ戦士として戦わないなんて考えもつかなかったよ」
それに、
「あの時オレはまだ無力で、父さんは結局死ぬまで一人で戦っていたようなものだったけど――」
父さんとオレは違う。
「セフィロス――お前がオレと一緒に戦ってくれているだろう」
この嬉しい恋人の台詞に、セフィロスは言葉ではなく態度で歓びを示す。
クラウドをしっかりと抱きしめ、柔らかい唇を吸う。
吸って離れる時、クラウドがセフィロスの下唇を甘噛みしてきた。
その痺れる感覚でさえ、恋人のエッセンスとなる。
「エアリスは、オレにとってのセフィロスみたいに、しっかりと信頼出来るものがないんだと思う…」
だから、心は揺れて、すぐ戸惑ってしまう。
だから――結婚などと口走ってしまうのだ。
クラウドが欲しいなどと言ってしまうのだ。
クラウドはエアリスが自分に向ける感情を、きっと彼女自身よりも正確に把握していた。
エアリスは憧れているだけだ。
自分と同じハーフセトラであるクラウドに。
その上幼い頃から、クラウドと結婚してセトラの血を残すのが義務なのだと、周囲から教え込まれてきた。
真面目なエアリスは、周囲から教え込まれた通り、クラウドと結婚して子供を産み、セトラの血を絶やさないことこそが、自分の役割なのだと信じ切ってしまっている。
彼女は確かにクラウドに好意を持ってくれてはいるが、それは親愛であって自分とセフィロスとの間にあるような愛情ではない。
いつかエアリスもそれに気が付くだろう。
クラウドの口から「エアリス」という名が出ることを、セフィロスは歓迎していない。
「信頼出来るものがないだと――戦士には向いていないな」
あくまでもエアリスには手厳しいセフィロスの態度だが、共に戦う者としてはそれもむしろ当然なのだろう。
戦場に立っている極限の中で戦っている時に、いちいち安易に心を揺らされていたのでは、勝てるものも負けてしまう。
それでも、結界はエアリスにしか出来ないこと。
「セフィロス。エアリスは戦士じゃないんだ」
クラウドはセフィロスの首筋に顔を寄せる。
セフィロスと触れ合っていると心が満たされていくこの不思議な感覚は、彼を愛しているからなのだろうか。
それとも――同じ卵子を持つ者だからか…
――いいさ。それでも。
二人の間には立ちきれない特別な絆があるのだと、そう思えば良いだけのこと。
首筋に顔を寄せてきてくれた金色の頭へと、そっと手を添わせる。
手に収まってしまう小さな頭。
奔放な金色の髪。
どれもセフィロスにとってはこの上ない宝物だ。
「それでどうするのだ?」
「エアリスを説得してみるよ」
彼女も頭が冷えてくれば、もっとちゃんと話が出来るだろうし。
「その説得。俺に任せてみないか?」
予想外の言葉に、クラウドは身体を離して、セフィロスを見上げた。
「お前が!?エアリスを!?」
まさか。
「そうだ。俺があの娘に話しをしてみよう」
美しすぎる恋人の申し出を、クラウドはいぶかしむ。
セフィロスはずっとエアリスを嫌ってきたのだ。
僅かな接点すらも嫌い、自ら関わりを避けてきた。
それが説得だなんて信じられない。
――何か思惑があるんだろうか…
こうクラウドが考えてしまうのも当然なのだ。
恋人を信頼していないのではないが、ことエアリスとなると、ちょっとあやしい。
クラウドの青い瞳が、スッと細められる。
自分よりもずっと高い位置にあるセフィロスの翠の魔晄を、推し量るように見つめた。
一方のセフィロスは麗しい微苦笑を浮かべ、
「やましい考えはない」
ただ、
「クラウド。お前よりもこの場合は俺の説得の方が、あの娘には効果があると思っただけだ」
「どうしてそう思うんだ?」
「同じ人を愛しているから」
もちろんクラウドのことだ。
面と向かってこう言われてしまい、クラウドの視線が僅かに泳ぐ。
照れているのだ。
そんな表情すらも、セフィロスは愛でる。
人前ではほとんど表情を変えないクラウドだが、セフィロスには様々な姿を見せてくれるのだ。
そのひとつひとつを大切に切り取り、記憶の聖域にしまい込む。
クラウドと離れている間、すぐに取り出せるようにして。
「――…わかった」
ただし、
「一回だけだぞ」
勝機を確信しているセフィロスの自信に、クラウドは任せることにする。
もしかしたらこれが惚れた弱みなのだろうか、と思いながらも。