再生への光

裏側の世界シリーズ


思い出すのは、クラウドとセフィロスが抱き合っていた姿だ。
あれは本当に愛し合っている恋人同士そのままだった。
クラウドのあんなに甘えた顔も、セフィロスのとろけそうに優しい顔も、エアリスはあの時まで知らなかった。
思い出すだけで、自然と涙が零れてくる。
――あたし、泣いてる…?
泣くなんて。
――悲しいのかナ?
だとすれば、何が悲しいのだろう。
クラウドが自分を選ばなかったこと?
男同士なのに、エアリスが大嫌いなセフィロスを選んだこと?
それとも――他に恋人がいる相手を諦めきれずにいる、自分が悲しいの?
そんな自分が、母親そっくりだから?
エアリスの足が止まる。
俯くと長い髪が、顔面に掛かってきた。
視界のほとんどは、髪で覆われてしまう。
茶色の、セトラの証である髪だ。
――あたし…どしたらいいの?
母譲りの髪に包まれながら、エアリスは途方に暮れる。

俯いて立ちつくしているエアリスの周囲を、忙しなく幾人もが通り過ぎていく。
皆項垂れている少女のことなど、気にも留めない。
身悶えしながら号泣でもしていれば別だろうが、静かに顔を伏せて立ちつくしているくらいでは、他人の関心など集めないのも当然だ。
だがふいに一人が足を止める。
様子を窺いつつも、近づいてくるのには理由があった。
「…エアリス?」
エアリスの知っている声。これは、
「――…ティファ?」
長い黒髪の少女は、手に紙袋を抱えたまま、小走りにやってきた。
なかなか可愛らしい少女であるが、やんちゃな印象が強いのは、活動的な服装をしているからだけではなく、これがこの少女の本質なのだからだろう。
腰まで覆った長い黒髪だけが、不思議と艶やかである。
エアリスとティファは、顔見知り。
知人以上親友以下くらいのスタンスだ。
伍番街スラムで花を育て花売りをしているエアリスと、七番街スラムにてセブンスヘブンの看板娘であるティファは、ある意味似た立場にいる。
かなり前からお互いのことを知りはしていたが、実際に親しくなったのはセブンスヘブンにエアリスの育てた花を置くようになってからだ。
エアリスは朗らかなティファに、ティファは大人しげなのに芯の強いエアリスに。
二人は互いに好意を持ち、現在に至るまで良好な関係を構築しているのだ。

ティファは初めて目にしたただ事でないエアリスの様子に、あからさまに驚く。
戸惑いつつも、それでも声を掛けてやってくる。
「どうしたの?」
ティファの頭にあるのは、ここがスラムなのだという事実だ。
いくら住み慣れているとはいえ、いくらスラムでもこの辺りの治安が良いとはいえ、スラムはスラム。
プレート上部アップタウンと比べると、タチの良くない人間は山のようにいるのだ。
ティファはエアリスが何らかの暴力を振るわれたのか…もしくは、振るわれかけたのかと心配したのだ。
「エアリス?何かあったの」
自分を案じてくれるティファの問いかけに、エアリスはただただ首を横に振るしか出来ない。
何度問いかけても返事をくれないエアリスに、ティファは問うのを一旦やめて、じっと観察を始める。
服は乱れていない。
暴力を受けた痕跡もない。
ここでやっとティファに余裕が出来た。
エアリスの肩をそっと抱いて、
「ウチの店に行こう、エアリス」
友人として、とても有り難い言葉を与える。


七番街の真ん中にあるセブンスヘブンは、酒も出すがそれよりも料理が評判の店だ。
客筋も比較的良く、アルコールであれば浴びるように求めてくる類の客は訪れて来ず、むしろリーズナブルで美味しい酒と料理を好む客がほとんどである。
スラムのみにあらず、アップタウンからも客がやってくる。
ランチタイムが一段落した店は、閑散としており、人の姿は全くない。
オーナー兼コックでもあるバレットだけが、厨房で夜の仕込みに取りかかろうとしている。
「さあ、入って」
古くなった木の扉を押しながら、ティファはエアリスを招き入れた。
ぎぎーっと軋む音が聞こえたのだろう、奥の厨房からバレットが顔を覗かせてきた。
バレットは厳つい大男だ。外見だけならば、コックなんて冗談としか思えない。
2メートル近い長身。鎧のような筋肉の塊が、全身束となって覆っている。
その上、浅黒い肌に右頬に走る傷と左腕の刺青と。どこをどう見てもコックには見えない。
以前はコレルで炭坑夫であったという経歴を聞いていなければ、エアリスだって信じられないままだっただろう。
見た目は厳ついが、気の優しい男で、一人娘のマリンを溺愛している。
ティファとは親戚なのだと聞いていた。

バレットはティファの後に続いて入ってきたエアリスを見て、チラリと視線を伏せてから、
「いらっしゃい」
とだけ言うと、厨房へと戻ってしまう。
その素振りは、いつもの豪快なバレットとは違っているものの、何せ自分の感情だけで手一杯だったエアリスには気にもならなかった。
ただティファだけはエアリスの反応を推し量っていたのだが。
「そこに座って」
わざといつもより快活に振る舞うと、テーブル席のひとつを指した。
ちょうどエアリスの育てた花が飾られているのがよく見える席だ。
素直に座ったエアリスに、
「何か飲む?」
「え…でも、あたし……」
「いいの。いいのよ」
遠慮するエアリスに、ティファは笑顔を作る。
「いつもエアリスにはお花を活けてもらってるし、このくらいサービスさせてよ」
それに、
「せっかくトモダチが遊びに来てくれたっていうのに、飲み物くらいはだすわよ」
ね、と笑いかけられて、エアリスも安堵する。
「ありがと」
「酸っぱいの平気?」
「うん、好き」
「じゃあ特製のグレープフルーツジュースをだすわね」
ティファが厨房へと行ってしまってから、エアリスは改めて店内を窺う。
古いがきちんとしている店だ。
カウンターは木製の古いもので、年月を経た木だけが持つ鈍い光沢が出ているが、それが味わい深い。表面は磨かれてぴかぴかだった。
店のどこを見渡しても、余計な物がない。ただし余裕は感じられる。
そして店内に飾られているエアリスの花たち。
悪く言えば余分な物がなさすぎて殺風景な店が、花があることで潤いが演出されている。
そう言えば花を飾るようになってから、ランチの客が増えたのだと、以前ティファに言われたのを思い出す。

考えているうちに、ティファが戻ってきた。
トレイに乗せられているのは、二人分のグレープフルーツジュースと、二人分のケーキと。
「これね。バレットがどうぞって」
見るからにふわふわのシフォンケーキを前にするだけで、あれほど荒れ狂っていた気持ちがふんわりと落ち着いてくるのを感じる。
「ありがと…おいしそう」
「これね。バレットが焼くのよ」
「このケーキを!?」
うん。そうなの。
「生クリームで飾り付けるような、ああいうのは手間もコストも掛かるから、作らないんだけど、このシフォンケーキだったら、仕込みの時に作っておけるしね」
案外簡単に出来るのよ、と笑うティファに促されて、エアリスはケーキに手をつける。
フォークで刺すと、見た目以上のふわふわ感だ。ほのかに漂ってくるのは、
「紅茶…」
「当たり。これ紅茶のシフォンケーキなのよ」
口にすると紅茶の香りが広がっていく。
ティファの作ってくれたグレープフルーツジュースは、酸味が強いがよほどフレッシュなのだろう。えぐい苦味が少ない。
美味しいケーキ。美味しいジュース。エアリスに優しくしてくれる人。
エアリスの弱さを包んでくれる、満ち足りた空間。
――あたし、ホントは、クラウドにこうならなくちゃいけないのよネ。
愛して欲しいとか、あたしだけを好きでいて欲しいとか。
こんなこと大声で叫んでみたって、それはただのノイズにしかならない。
叫び続けるだけだと、
――母さんと同じになるヨ。
イファルナと同じになってしまう。
好きな人にも自分の恋心にも誠実でありたいのならば、求めるだけではなくまず与えるべきなのだ。
クラウドの為に何が出来るのかを、真剣に考えるべきなのだ。
そうでないと――クラウドは絶対にエアリスを認めてはくれない。
同じハーフセトラ以上には見てくれないだろう。
グレープフルーツジュースを口にする。
甘酸っぱい酸味が曇った気持ちをクリアにしていく。
当たり障りのないお喋りでエアリスを気遣ってくれるティファに、まず素直になりたいと思った。
「あのね、あたし――」
「好きな人、いるの」
恋の話に興味を示さない女の子はいない。
ティファも身を乗り出してくる。
自然と声を潜めて、
「どんな人なの?」
「カッコイイ人。優しいし」
「いくつの人?」
「あたしより、少し、年上かナ」
「いつ知り合ったの?」
ティファの興味は尽きないようだ。
エアリスもどんなにクラウドがステキなのか、つい自慢したくなる。
「小さい頃から、知ってるヒト、」
「幼なじみなのね」
「うん。そうなるのかな」
はあ、とティファはため息混じりで、
「いいなあ。そんな素敵な彼がいて」
「彼じゃないヨ」
「え!?」
それって、
「片想い!?」
「うん。…そう」
さっきまでは片想いって言われるのはイヤだったが、今はもう認められる。
自分のこともクラウドのことも、事実を認めることこそが、第一歩だと思うから。
「その人ね、あたしじゃない他のヒト、好きなの」
思わず言葉を失うティファに、
「でもあたし、そのヒト、ずっと好きで――」
「さっき、そのヒトから、頼まれ事、されたの」
「あたし、思わず「結婚してくれるなら、やってあげる」なんて言ってしまって――」
「――…」
驚いているままのティファに構わずに、エアリスは続ける。
「言ってすぐ、なんてコト、言ったんだろうって、悲しくなってきて」
「……――それで、泣いてたのね」
「うん、そう」
エアリスは大泣きしていた所を見られたのを思い出して、恥ずかしくなってしまう。
一方のティファは、初めの明るい顔つきから真面目なものへと表情を変え、
「その人は、エアリスにそんなこと言われて、どんな反応だったの?」
少し考えてから、
「すぐ、逃げ出したから、よくわからないけど…」
「すごーく、ビックリしたと思うヨ」
あっさりとそう話すエアリスは、むしろ無邪気だ。

ここまでの話に、ティファはショックを受ける。
アドバイスしようにも気の利いた言葉など出てこないし、第一エアリスはすでに己の愚かさに気づいているのだから、他人が諭すべきことはどこにも見あたらない。
それに――ティファは密かに自嘲する。
愛や恋だの、そんな幸せな悩み、ティファには許されていないのだと言うのに、エアリスはまっただ中だなんて。この差はなんなのだろう。
誰かを好きになる、なんていう感情は持ったことがない。
そんな余裕などないまま、今まで来たのだ。きっとこれからもそう。
ティファがこの手で――目的をやり遂げるまでは。

――こんなに違うのね。
エアリスの悩みや悲しみと、ティファのそれとは、こんなにも違ってしまっているのだ。
同年代の、同じ女の子だというのに。
だがこの苦い自嘲をエアリスに悟られる訳にはいかない。
ティファは心配そうな表情を意識的に貼り付ける。
「これからエアリスはどうするの?」
エアリスはもう見つけた時みたいに泣いていない。
すでにかなりふっきれているようだ。
その“好きな人”を語る口振りからも、それがよく伝わってくる。
エアリスはティファの質問に、幾度か躊躇って、言葉を探してから、
「さっきまで、好きだったヒト、急にキライになんてなれないヨ」
「そうね…」
「あたし、ずっと彼を好きでいたい」
それにはやはり、
「彼、これまで一度も、あたしにお願いをしてきたこと、なかった」
だから、今回のお願いは余程のこと。
「だったらエアリスは、その頼まれ事をやってみるのね」
うん。
「やれる自信、ないけど。やってみようと思う」
出来るとか出来ないとか以前に、母と同じ事をするのに抵抗がある。
クラウドの父が母に求めた同じことを、クラウドに求められるのは気に入らない。
だがクラウドの信頼を勝ち取り、あの嫌なセフィロスよりも好きになって認めてもらう為には、これはやらなくてはならない大切なことのだ。
これまでエアリスは、星とセトラと人とウェポンとの戦いの、実は渦中にいながらも全く関与してこなかった。
なるほど幼い頃よりセトラや星やウェポンについての詳しい話を耳にして、知識を蓄えてはきたものの、実際に遭遇したのは勝手にザックスと共にミッドガルを飛びだした、イレギュラーなあの一回のみ。
だからこの“結界を張る”という決意は、初めてエアリスが挑むセトラとしての戦いなのだ。
戦いが恐ろしい気持ちは、生物の本能としてある。
さんざん惨い話も聞いてきた。クラウドの父が死んだ顛末を聞かされた時の、あの足下からせり上がってくる深淵のような虚無感は、まだ記憶に生々しい。
それでも――やるしかないのだ。
エアリスははっきりとそう悟った。
セトラとしての義務よりも、最後の巫女としての責任よりも、好きな人を好きなままで居続けるために。

そんなエアリスはティファには、羨ましくて眩しい。
単なる羨望という以上の濁った感情は、とりあえず蓋をした。
「――エアリス、格好良いわね」
そう?
「カッコイイの、ティファだヨ」
エアリスは、ぱくりとシフォンケーキを口にして、
「泣いてたあたしに、力をくれたの、ティファ」
――力?
「私は何もしてないけど」
「してくれたヨ」
「こんなにおいしい、ジュースとケーキ、くれたじゃない」
だから、決められたの。
だから――素直にもなれた。
「ありがと、ティファ」
微笑んで、美味しそうにジュースを飲むエアリスは、快いものの象徴そのものに見える。
そんなエアリスに御礼を言われる資格など、果たして自分にはあるのだろうか。
――エアリス……
エアリスをここにこうして連れてきたのだって、計算があってのこと。
ティファは知っている。
エアリスが神羅関係者の一人だと。
しかもその繋がりは、普通ではなくとても深いのだということさえも。



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