星の名前

裏側の世界シリーズ


9,


在りし日の父を思い出す、クラウドのノスタルジーを、彼女は優しく見守りながら、
「クラウドさんは星の名前をご存じですか?」
「星の名前?――それが何か…」
そう言えば、ここ古代種の神殿で最初に見た映像で、女が叫んでいた――アース、と。
ジェノバはクラウドに触れている感覚を通して、その映像を察知した。
「そうです。アース。これが星の名前です」
「私はセトラでも巫女の家系の者です」
「私達巫女は、セトラの中でも星に一番近い立場にいました――…」
彼女の心が哀しみに揺れる。感覚同士が触れ合ったままでいるのだから、彼女の持つ諦観しきった哀しみは、クラウドにもリアルに伝わってきて、胸に詰まる。
「巫女が星との対話を願う時には、必ずこの星の名前を呼ぶのです」
――アース、と。
「クラウドさん。いつか再び星がセトラに応じてくれる日がやってくるのかは、私には解りません」
ですが、
「アースという星の名前を忘れないでください」
「…解りました――」
続けて礼を口にしようとするクラウドを身振りで押しとどめた彼女は、
「クラウドさんに是非やっていただきたいことがあります」
彼女の表情が引き締まる。
「クラウドさんは遠い未来にある、この神殿にいらっしゃるのですね」
「はい…ここと同じ、壁画のある間にいます」
「この神殿には秘密があります――クラウドさんは、白魔法ホーリーと黒魔法メテオについてご存じですか?」
はっきりとクラウドは頷く。
「はい。セトラであった父から詳しく聞かされていますが」
「でしたら、黒魔法メテオを発動させるのに何が必要なのかもご存じですね」
父から幾度も聞かされてきたのだ。考えるまでもなく、口から滑り出る。
「黒マテリアですね」
「あなたが今いらっしゃるこの神殿こそが、黒マテリアそのものなのです」
「この神殿が!?」
巨大な石の建造物が、か!?
「ええ、それがこの神殿の秘密なのです」
「クラウドさん――」
彼女はここで万感の想いと揺るがない決意を込め、
「黒マテリアをどうぞ受け取ってください」
あなたに、差し上げます。
「――!」
――それは一体、どういうことなのか?
眉を寄せ青い眼差しで問うてくるクラウドに、あくまでも彼女は優しい。
「私はこれから神殿を黒マテリアに戻します」
「それをあなたに受け取ってほしいのです」
「ご存じのように、メテオは星と対抗出来る究極の魔法です」
この星に生きる者は、誰も星には敵わないとされているが、黒魔法メテオだけは別なのだ。メテオは星に大ダメージを与えられる唯一とされている。
「黒マテリアを使い、メテオを発動させるかさせないかを含めて、全てをあなたにお任せします」
彼女は星の運命をクラウドに委ねようとしているのだ。
「私は、クラウドさんの意志を、セトラの巫女として信じます」
「だが――オレは…」
彼女の手が実体のないクラウドに触れる。
「何事もあなたの信じるようになされば、それで良いのです」
きっぱりと言い切った彼女は未来を信じている。

彼女の言葉を噛みしめる。クラウドと会うために、生かされているのだとの言葉を。聞かされた時、クラウドは信じてなどいなかったが、今は違う。
本当にそうなのかもしれない。彼女はクラウドと出会い、星の名前を告げ、黒マテリアを渡す為に、今ここにいるのだ。
そしてクラウドが今回星の手がかりを求めて、古代種の神殿にやってきたのも、彼女と出会い、星の名前を聞き、黒マテリアを受け取る為だったのだとすれば、そこにはきっと誰かの、人やセトラではないもっと大いなる意志が働いているのだ。
クラウドは決断する。

「黒マテリアを、受け取ります」
「よろしくお願いしますね」


彼女は神殿を黒マテリアに戻す具体的な方法は教えてくれなかった。
「黒マテリアに戻すには、神殿を閉じてしまうことになります」
神殿はなくなってしまうのだと。
過去の神殿が閉じてなくなってしまうということは、
「オレ達のいる未来の神殿も――」
「ええ。きっと同じように閉じてしまうのでしょう」
彼女の手が、何度も何度もクラウドの輪郭線に触れてくる。
現実に触れられはしないが、彼女の感覚と同じような暖かで穏やかな手なのだろうと、クラウドは素直に思う。
小さな手だ。指も掌も小さい。その小さな手にもむごたらしい火傷の痕が走っていた。
だが彼女とこうして感覚を触れ合いさせ、交流した今となっては、惨い火傷の痕は、単純に悲惨なものだけには見えない。
彼女はセトラの巫女であり、己の過酷な運命から逃げず戦っている戦士なのだ。火傷の痕は彼女には似つかわしくはないが、戦士の証としてむしろ貴い。
「こうしてクラウドさんと会って、黒マテリアを渡すのが私の運命ならば、あなたはもうすぐ元の世界に戻るのでしょう」
大いなる誰かはきっとそうするだろう。
「元の世界に戻ったらすぐに神殿を出てください」
「――はい」
「巻き込まれないように必ず神殿から出てくださいね」
彼女は念押しする。その優しさに感謝しながら、クラウドは己の感覚が彼女から離れていくのを感じていた。去る時が来たのだ。
彼女にもそれは伝わっていて、
「クラウドさん。ありがとうございます――」
「あなたに会えて、本当に良かった」
「オレもです」
セトラであるという誇りを、ジェノバという名のセトラから教えられたのだ。
約二千年前に生きていた、セトラの盲目の巫女。
厄災に己の名を与えた誇り高い女性。
「さようならクラウドさん。お元気で」
「あなたも――」
神殿を黒マテリアに戻す。神殿を閉じる。という具体的な説明を聞いてはいないが、それでも解ることはある。
神殿を閉じる為に、彼女はきっと犠牲になるのだろう。そうだと解っていても、彼女の無事を祈らずにはいられない。
「クラウドさんに、いつもご加護がありますように」
かろうじて感じ取れた、これが彼女からの最後のメッセージだった。

目を開ける。よく馴染んだナナキと、愛嬌のあるソルジャーの気配を背後から感じた。
二人とも心配しつつもクラウドを信じ、ずっと様子を見守り続けてくれていたのだ。
己の手を目の前に持ってくる。ぎゅっと握りしめるとちゃんと手は脳の指令通りに動いてくれた。感覚にブレもズレもない。クラウドの魂はちゃんと戻ってきたのだ。
立ちあがったクラウドは振り向くといきなり、
「この神殿から出よう」
付き合いの長いナナキは、異論を差し挟まない。
だが今回が初顔合わせのザックスは違う。納得がいかないのか、それとも聞きたいことが山ほどあるのか、口を開けようとした所で、止まった。
ソルジャーの持つ人間以上の聴覚が拾ったのだ。神殿のどこかで何かが、動き出す音を。
同じ音はクラウドもナナキも聞いた。
ゴゴゴゴゴゴ――。組み合わせ積み重ねられた巨大な石と石とが動いている。数千年風雨に耐え抜き、揺るぎなく建っていた古代種の神殿が、閉じてしまう音だ。
ザックスは藍の魔晄を見開いて、
「あんたはこの音がなんなのか、知ってるんだな」
「この神殿はすぐに閉じてしまう。アレはその音だ。今のウチに脱出しよう」
異論はもうない。ナナキが先頭を切る。そのすぐ後にクラウドとザックスは続いた。
一瞬振り向きたい衝動にかられる。だがクラウドは足を止めず、振り返りもしない。

レッドドラゴンの骸のある間に戻る。
「取り敢えず来た道を戻るヨ、クラウド」
駆け出そうとするナナキをクラウドが止める。
「いや――それでは間に合わない」
クラウドの視線の行く先に、セトラの思念体が浮かび上がってきた。白いヒゲをたくわえ年老いたその姿は、クラウドが見た長老そっくりだ。
――長老様…
伝わったのか、思念体はゆったりと微笑むと、手にした杖を壁のある一カ所に向ける。
円錐形をしたこの間で、さっきレッドドラゴンと戦った時にはなかったのに…
杖の示す所には、門があったのだ。
石を積み重ねて出来た壁に、レリーフとなってその門はあった。
「あんなのあったか!」
素っ頓狂な反応をするザックス。この男、本当に思念体が苦手なのだ。
「ううん。さっきはなかったよお」
「でも今は、ある」
クラウドはナナキとザックスにではなく、思念体に向かって、
「ここを通ろう」
――ありがとう。長老様。
ゆったりと笑ったまま、思念体は消えた。同時に門が開く。
クラウドとザックスは剣に手をかけた。ナナキも戦闘態勢をとる。
開け放たれた門の向こうから出てきたのは、モンスター。デモンズゲイト。
このモンスターを倒さねば、脱出は出来ないのだ。
ナナキとザックスの身体を強力なバリアが包む。
「――クラウド!?」
姿を求めて巡らせた視線の先に、もうその姿はない。
クラウドの剣が煌めく。正に一閃。
素晴らしいスピードでモンスターに向かったクラウドは、デモンズゲイトの攻撃をトップスピードのまま、易々と交わし、剣を振るったのだ。
脳天から真っ二つに。デモンズゲイトの躯を真ん中から二つに断ち割ったのだ。
為す術もないまま、デモンズゲイトの躯は、半分に割れて床に崩れ落ちてしまう。
どおっ、と床に崩れ落ちきってからやっと、二つに断ちきられた断面から粘液質の血が噴き出してきた。
――すっげえ!
クラウドの太刀筋が鋭すぎて、これだけのタイムラグが産まれたのだ。ソルジャーとして、一人の戦士として、ザックスは興奮してしまう。
クラウドに匹敵するのは、1stでも難しいだろう。ザックスの知る限り、まともにやり合えるのは、セフィロスだけではないのか。
興奮したまま身体を震わせているザックスに、背を向けたまま一言、
「時間がない。行くぞ」
そう言ったクラウドの剣を持っていない左手に、さっきまでなかったモノがある。腕輪だ。縁をぐるりと取り巻いた金属の棘が突き出している。
――ありゃもしかして、ギガースの腕輪か?
あの一瞬でデモンズゲイトから奪ったのだろうか。
問い質したいが、ナナキはすでにデモンズゲイトの骸を越えて、門の向こう側へと走っている。クラウドの金髪も門の向こうへと消えてしまった。
ザックスは慌てて追いかける。

門をくぐった先にあったのは、祭壇の間だった。思念体はかなりの近道を教えてくれたことになる。
三人は祭壇の間を出て、行きは慎重に上ってきた石の階段を、今度は一気に駆け下りる。
もうその頃には神殿は全体で激しく揺れていて、立っているのも困難なくらいだ。
階段を下りきって、少し離れた吊り橋の上でやっと止まる。三人は古代種の神殿が小さくなっていく様を、そこでただ見守っていた。
崩壊ではない。神殿が小さく折り畳まれていっているのだ。
埃も立たなければ、石が崩れているのでもなく。まるで紙で出来た模型を、小さくしようと握りつぶしているようで。
一種奇怪な光景に、三人はただただ見つめるだけ。ザックスに至っては、目も口も大きく見開いたままだ。
ものの数分で、密林にそびえ立っていた古代種の神殿は、影も形も、建っていたという痕跡さえも残さずに、文字通り閉ざされてしまった。
全てが終わったのだと判断したクラウドは、神殿があった場所に向かって歩く。
ナナキは当然付き従ってきたが、ザックスは動かないまま。まだ我を取り戻していないらしい。
広く開けた地面に光る珠がある。
黒マテリア――究極の黒魔法メテオを呼ぶモノ。
クラウドは跪き、黒マテリアを手に取る。
――確かに、黒マテリアは受け取った。
両手でしっかりと握りしめる。

暫くして、クラウドは黒マテリアを握ったまま立ちあがった。
心配げなナナキのたてがみを撫でながら、
「ここでやれることは全部済んだ。さあ、戻ろう」
戻るのだ。ミッドガルに。
帰りのヘリを呼ぶ無線はザックスが持っている。
ナナキはしなやかに躯を翻して、突っ立ったままでいるザックスの元へと向かう。尾の先の炎が優雅に揺れる。
無線で呼べば、何時間くらいで来てくれるものか。
――セフィロス…
セフィロスに会いたい。ひたすら、会いたい。
セフィロスに話したい。きっとセフィロスならば、解ってくれる。クラウドが今どう感じているか、を。
相反して、セフィロスに会いたくはない。
会ってしまえば求め会ってしまう。それが――怖い。
――オレはどうすべきなのだろうか…
クラウドの意志を信じる、と行ってくれたセトラの巫女に、どうすれば応えられる?
彼女から託された黒マテリアは哀しいくらいに美しい珠であった。



END

 


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