馴染んでいるというにはほど遠いが、クラウドもそれなりにはミッドガルという場所を理解している。
星と同じ名前の大都市ミッドガルは、とても変わった構造をしていた。
プレートによりアップタウンとダウンタウンとに分けられた都市は、上空から眺めるとまるでピザの大きな生地のようだ。
プレートの下となっているダウンタウンはかろうじて日の光が射し込むものの、最下層であるスラムは一日中暗い。
人付き合いが苦手なクラウドは、ホテルのあるアップタウンからダウンタウンへと降りる。
ここならば誰もクラウドの顔を知らない。騎士の顔を見れば必ず五月蠅くたかってくる上流階級には縁のない場所なのだから。
ダウンタウンへと降りて、以前立ち寄ったことがある店へと向かう。
騎士の記憶は確かだ。間違えた訳でもなかったのに、目的の場所には記憶のとは違う店がある。
潰れたのか。移転したのか。
やはり大都会では時間の流れは遙かに速い。
故郷ニブルでは時間はゆったりと止まったように流れている。
村に住む人々は皆、頑なな程に変化を拒んでいたのだ。それはある意味ぬるま湯に浸るような安心感をもたらし、同時に変化を恐れ異物を排除する閉鎖性にも繋がっていた。
クラウドはニブル出身の騎士第一号であった。ただでさえ私生児ということで異物として扱われていたのに、その上騎士にもで変化したのだ。
あの当時のニブルの民の反応は、笑うしか出来ないほど凄まじいものであった。
一人ではとても耐えられなかっただろう。母がいたからこそ、見事に耐えられて、今では気が向くとニブルに里帰りする余裕そら出来た。
周囲を見渡しても、目的にしていた店はない。仕方なしにクラウドは他の店を探そうとしたが、そこで足が止まった。
頭の上にあるプレートから日が射し込んでいる。そしてその陽差しは、ダウンタウンのみに留まらず、地面に空いた穴から更に下層のスラムへと差し込んでいるではないか。
――穴?
往来のど真ん中ではないにしろ、人がひっきりなしに通る場所に穴があるなんて。
しかも小さなものではない。人一人分ならば容易くくぐれる大きさだ。
クラウドは好奇心にかられて、穴から下を覗き込んでみる。
そこには想像も出来ないものが広がっていた。
赤や緑、黄色や青の色とりどりのこれは――
――花?か。
クラウドは我が目を疑う。
――スラムに花とは…
騎士の視力は並ではない。クラウドはその花が自然に生えたものではなく、人が植えたものだと確信する。
きれいに間隔を考えて植えられた花が咲いているのだ。
どれも個性を主張する大輪の高価な花ではなく、素朴な小さな花ばかり。そもそもいくら陽が射しているといえども、圧倒的に日照が足らないのだから、大きな花は開かないのだろう。
クラウドは好奇心のままに、身体を穴から滑り込ませ、そして花畑へと飛び降りた。
5メートル以上はあろうかという高さも、騎士はものともしない。
飛び降りる時、穴の縁に手をかけて観察をし、花畑の真上に降りて花を踏み荒らさないように、飛び降りる角度を変えてみたりもする。
ほとんど音もなく花畑を踏み荒らさずに着地したクラウドは、久しぶりに見る素朴で穏やかな光景に思わず笑みをたたえた。
こうなるとクラウドの印象はガラリと変わる。
不器用さを隠す無表情なバリアーが消え、青年というには可憐になる。
この花畑は教会だったようだ。いや、これは正確ではない。
元教会だった建物が朽ちており、床板が剥がれて土が剥き出しになったスペースに、誰かが花を植えて育てているのだ。
プレートの隙間から差し込んでくる細い光の筋が、花とかろうじて残っているステンドグラスの聖母とをライトアップしていた。
跪いて花へと顔を寄せる。本物の花という証である、甘い匂いがほのかにしてきた。
――ティファ…
思い浮かぶのは、ただ一人の少女の姿。
ティファならば、この花畑にさぞや歓んだことだろう。
煌びやかなものよりも、彼女は自然を愛していたのだ。
愛するファティマを失って以来、ずっとささくれ立っていた心が、ゆっくりと解れていく。
ここに来たのは偶然と好奇心でしかないが、クラウドはティファが引き寄せてくれたのだと信じた。
緩やかな曲線を辿る花弁に指先を添わして、再びクラウドに笑みが浮かんできたその時、
騎士の本能が察知する。
「――!」
クラウドは高速で立ちあがると、腰を落とし構える。
向かうは教会の入り口部分。大きく開け放たれた入り口には、すでに扉はないようなものだ。壊れておりその機能を果たしてはいない。
そこに一人の人物がいる。
フードをすっぽりとかぶり、足下までの長さのあるマントを着ている為、詳しい容姿はわからない。なにせ身体のラインでさえ見えないのだ。
ただその人物は長身であった。男としては小柄なクラウドよりも20センチ近く高い。
おまけにその肩幅。マントの下に装備を着込んでいるのかもしれないが、それにしても逞しい。
フードの間から光が零れていた。
――髪…銀髪!?
長い銀髪が胸元まである。もしかしたらもっと長いのかもしれないが。
長髪の男か…もしくは鍛え上げられた女騎士か。
いや、騎士にしては感じが違う。
クラウドと謎の人物との距離は、およそ10メートル。騎士ならばひとまたぎの距離でしかない。
誰何をするべきか?クラウドは迷う。
謎の人物こそがこの花畑関係者であるという可能性もあるからだ。
その場合、不審者は明らかにクラウドの方だ。
クラウドが決めかねている間に、マントの人物は近寄ってくる。
滑らかな動作は、やはりこの人物がただ者でないのだと裏付けていた。
長身に見合うかなりの大股で、二人の距離はすぐに半分まで縮まってしまう。
と、唐突に止まった。
下から見上げるポジションになった為、マントの下が窺えた。
目こそ目深なフードで見えないが、寸分の狂いもなく通った鼻筋といい、肉の生々しさを感じさせない唇といい、かなりの美形であろう。
その唇が動く。出てきたのは予想外に骨太の男の声であった。
「お前――名はなんと言う」
「…」
勝手に花畑に立ち入ったことについて、誰何されているのか。
そう考えたクラウドは素直に答えることにした。
「オレはクラウドだ」
「ミッドガルには仕事で来ている――」
「勝手にここに立ち入ってすまない」
名前の他に謝罪も述べてみるが、相手は無反応だった。
ただ、クラウドの名にはこだわっているらしい。口の中で小さく「クラウド」と数回呟くのが見えた。
しばらくの沈黙の後、マントの男は再び口を開いた。
「お前は騎士だな」
推測ではなく断定であった。
やや不審を抱いたクラウドは、頷くだけに止めたが、頷いた瞬間マントの男は二人の距離を一気に詰めてきた。
マントの内側から伸びてきた手がクラウドを捉えようとする。
クラウドは手を避け、後方にジャンプした。
騎士のジャンプだ。1メートルや2メートル下がったのではない。
クラウドは正に“飛んだ”のだ。
花畑を大きく飛び越えて、クラウドとマントの男は再び対峙する。
「なぜ、逃げる」
男の長い両腕がクラウドへと伸ばされてくる。
こんなに距離があるというのに、クラウドは直に触れられている感覚に囚われそうになった。
「クラウド。俺の騎士――」
――なんだと!?
次に出てきた言葉に、クラウドは衝撃を受ける。
「俺のマスター」
これは――ファティマが主を選ぶ時の言葉。
「お前…ファティマか!?」
男はフードを無造作に後ろへと振り払った。
現れた顔にクラウドは再び衝撃を受ける。
ファティマは確かに皆美しい。だがこの男のファティマの美貌は異常であった。
見事な左右対称。見事な黄金率。
あまりにも桁外れの美貌の為、ファティマという人造物というよりも、信仰の対象〜つまり神〜にさえ思えてくる。
長い銀髪の間から覗くのは、額にはまったクリスタル。これは確かにファティマの証。翠の瞳は縦に裂けた初めて目にする形をしているが、それ自体が希少な宝石に見える。
変わった反射をするのは、ファティマにつけられているアイカバーのせいだろう。
自然の営みで生まれたものでもなく。
かと言って彼はファティマという人造物なのだから、とだけではこの美貌は説明出来ない。
神に寵愛され、その寵愛故に全ての完璧さを与えられた唯一無二の存在。
無神論者であるクラウドですら、こう感じるのだ。
それだけこのファティマは絶大であり絶対である。
ファティマの美貌に吸い寄せられたクラウドは、彼がこちらへと“飛んだ”のを目にしても、反応出来ない。
「マスター――」
彼は再びクラウドをこう呼んだ。
「やはり、己のマスターというのは解るものだな」
どことなく感心したという口振りは、本当に自然なものであった。
騎士に準じる能力を持つファティマは、いくつかのルールがインプットされており、それによってマインドコントロールを受けている。
泣きもするし、笑いもする。喜怒哀楽などおおよそ人間と変わらないだけの感情を持ち合わせてはいるものの、基本的な反応はこのマインドコントロールによるリミットの範囲内でのものだ。
ティファもそうだった。
あれだけ感情豊かなファティマでありながらも、時折やはり人造物なのだと感じられるところがあったというのに。
それがどうだ。このファティマは違う。
そう…言うなれば…
――まるで人のようだ…
その容貌のように完璧に成熟した大人ではない。自分の感情と理性との、折り合いをつけることを学んでいる最中の、幼い子供のようで。
彼の大きな両手が頬に伸ばされてきても、クラウドには振り払えなかったのだ。
「やっと会えた――」
「俺のマスター」
まるで愛の告白のように甘い響き。
指先まで完璧な手が、そっとクラウドの頬を撫でる。
触れられた瞬間、震えが全身を駆け抜けた。その震えは“飢え”によく似ている。
そんなクラウドを酔うように見つめた彼は、腰を折り、顔を近付けてきた。
そして、異常に美麗な顔はどんどんと距離を詰めてくる。
すぐに唇が触れ合うばかりとなると、
「俺を選べ、クラウド」
「お前は俺のマスターなのだから」
――マスター!?
頭に今はいない少女の声が浮かんできた。
(マスター!)
(クラウドはわたしのマスターなの!)
長い黒髪。親愛の眼差し。いつも微笑んでくれていた、初恋の少女。
――ティファ!
クラウドは美麗なファティマからの呪縛をうち破る。
――ボディソニック。
全身から衝撃波を打ち出す。
在る程度手加減してではあったが、この至近距離で美麗で逞しいファティマにぶつけた。
「ぐっ」
この攻撃にはさすがのファティマも効いたようだ。
よろめいて体勢を崩す。
その隙を狙いクラウドは壁を蹴り、潜り込んだ穴めがけて跳躍をした。
1秒にも満たない間に穴に辿り着き、縁に手を掛ける。
そのままダウンタウンへと穴をくぐり飛び上がろうとする背中に、ファティマが叫ぶ。
「俺はお前を選んだ!」
――逃げるな!
美麗すぎる外見には似合わない、感情を露わにする声に、クラウドの動きが止まる。
穴の縁に手をかけ、ぶらさがったまま一瞥すると、クラウドは一言一言をかみ砕くように、
「星団法では他の騎士の立ち会いがないと、オレはお前のマスターにはなれないことになっている」
当事者の騎士とファティマ以外に、少なくとも三名の騎士の立ち会いが必要だ。そうでなければお披露目で選ばれたとは認められない。
ファティマならば、当然知っているだろうに。
「それにオレは――ファティマを娶る気はない」
この言葉にファティマの完璧な顔が歪む。
可哀想な気にもなるが、きっとこの外見だ。彼はさぞや有名なマイトの銘を持つファティマに違いない。
ならばクラウドよりも高名な騎士に貰われていくのが、賢明だろう。
「待て!待ってくれ」
ファティマはクラウドの後を追おうとする。
「来るな!」
その動作も、クラウドの一喝によって止まった。
ファティマとは騎士の命令を聞くのが身上。これはこのファティマがやはりクラウドをマスターとして選んでいるのだ、という証明に他ならないのだが、クラウドはこれを利用させてもらうことにする。
「来るな。オレを追いかけるな」
それだけを言い捨てると、クラウドは両手で己を引き上げて、花畑のある教会を後にしたのだ。
残るはクラウドが消えた穴を見つめるだけの美麗なファティマのみ。
「クラウド――」
「俺はお前を諦めない」
美しい唇から強い意志を持つ誓いがなされた。