続きです。
*** あの戦いの結末に、帝釈天ザックスによって、二人は始めて邂逅した。 兜率天の中心たる須弥山の高い頂に、兜率宮がある。 天井も床も、柱さえも玻璃で作られた広間に大梵天はいた。 それはクラウドが見たこともないような、神秘の光景である。 玻璃なのに向こう側は透けて見えない。だが光の屈折率は異様に高く、一の光を千にも増幅させて、広間全体を煌めくのだ。 つまりはその煌めきでさえ、大梵天の権威を象徴づけるものであった。 並の天部ならば煌めきに負けてしまい、眩しくて到底大梵天の姿など直視出来まい。 その上大梵天は煌めきの中心に静かに座しているだけなのに、とんでもなく神々しい存在となっているのだ。 数千年に渡る宿敵阿修羅王を迎えても、大梵天ルーファウスは静に玉座に座しているだけだった。 あるかなしかの笑みを含んでいるのは、いつものこと。 付き合いの長い対であるザックスには解っている。ルーファウスのこの表情は、無表情なのと同じであるということを。 つまりルーファウスは宿敵阿修羅王を、何の感慨もないままに、兜率宮に迎え入れているのだ。 敵に対する怒りもない。嘲りも嘲笑も、ましてや恐れすらもない。 神王たる大梵天ルーファウスとは、兜率天というシステムそのものであった。 兜率天というプログラムを緻密に計算して、実行にうつしていくという体制の要。 また兜率天というシステムアナリシスもやってのける。 武神ザックスとはまるで役割の違う神王なのだ。 玉座に座ったまま玻璃の煌めきに囲まれているルーファウスは、それだけで一個の芸術作品のよう。 ルーファウスに初めて対面した者は天部であろうと誰でも、穏やかではなくなってしまう。 無言の圧力に屈してしまい、負けないようにとことさら威圧的に振る舞うか、怯えて卑屈になってしまうか。 ルーファウスからは何もしない。 ただこの広間へと通して、黙して座っているだけで、相手の本質が暴露されるのを眺めているだけで。 今回もそうだった。 阿修羅王を前にしても、ルーファウスは静かに玉座に座して、黙っているだけ。 ザックスも、ルーファウス自身がクラウドの言い分に耳を傾けるかどうかについて、口を挟む気はないのだ。 そもそもルーファウスが、他人の〜例えそれが対たるザックスの言うことでも〜裏付けのない頼みに心を開くことなどない。 ルーファウスは彼自身の耳と目で情報を集め、それによって自分の頭で判断する。 またルーファウスに己を認めさせることが出来なければ、クラウドそれだけの男でしかなくなってしまう。彼の戦いの意味など、完全になくなってしまうのだ。
*** 本日はここまで。 ♪、毎回ありがとうございます。 本当に嬉しいです。励みとさせていただきます。
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