滅する――と聞いてセフィロスは大きくうねる螺旋の環が、引きちぎれて消えていくのを想像して身震いした。
セフィロスにずっと巣くっていた虚無が、種の滅亡という恐怖の前にさらさらと溶けてしまう。
虚無が去った後わき上がってきたのは――歓喜。
叩き付けられるように激しい歓喜が、セフィロスを包む。
――なんということだ!
この世界とはこんなにも広いのだ。
セフィロスが見聞きしているのは、ほんの一部分のみ。
人の世だけではない、様々な世界が層となって、現世が構築されている。
滅亡への時計が、今目の前にあるのだ。そんなものが存在するなど、セフィロスは想像さえしていなかったというのに、現実とは想像を超えてしまうなんという感嘆すべきものなのか。
もっともっと、他にもセフィロスを興奮と感動へと誘ってくれるものが、この世にはきっとある。
釈迦国王子という身分は、こんなにもつまらないものでしかなかったのだ。
セフィロスの口元がゆっくりと上がっていく。
自分でも自覚ないままに、セフィロスはあるかなしかの淡い笑みを浮かべていた。
黄金の円盤がまた別の円柱へと移動していく。
セフィロスはむしろうっとりと、その光景を眺めた。
「この円盤の移動は止められないのか?」
時計を止めてしまうことは出来ないのだろうか。
「ブラフマーの塔は少し力がある者ならば、誰でもこうやって見ることが出来る」
天と称される神族でなくとも、クラウドのような非天悪神や、聖人や仙人も見ることは出来るのだ。
もちろんヒラニヤ・ガルバたるセフィロスも、見に来ようと思えば自分の力だけでもやって来られる。
だがそれはあくまでも“見る”だけで。
「このブラフマーの塔の存在を知った者で、破滅を止めるべく破壊してしまおうと考えた者は数多いた――」
が、
「神族であろうと非天であろうと、そして人であろうと、何人とりともブラフマーの塔に触れることは出来ないんだ」
“見る”ことは出来る。
だが“触れる”ことは出来ない。
なんたるシステムであろうか。
「触れることが出来ないものは、誰にも壊せない」
よって、
「この塔を止めることに、未だかつて誰一人として成功した者はいないのだ」
「ただし、例外があるそうだ――」
クラウドはここで一旦言葉を切って、注意深くセフィロスを観察した。
人智を越えた神族にも滅多とない美麗を誇る王子は、取り憑かれたようにブラフマーの塔の円盤に魅入っている。
この光景を目の当たりにして、ブラフマーの塔の目的を知った者は、誰しも皆魅入ってしまう。が、それは今セフィロスが感じているものと同じ意味で魅入るのではない。
皆は滅亡を恐れて、恐怖のあまりに魅入る。
セフィロスはむしろブラフマーの塔という人智を超える絶対的存在があることに歓喜して魅入っているのだ。
――この男は滅亡が恐ろしくはないのだな。
やはりこの王子は、精神の基本構造が特別なのだ。
生まれ育ちとか階級などではなく、もっと根本的なところで。
これこそがヒラニヤ・ガルバ〜黄金の胎児〜たる特別な由縁なのであろう。
クラウドは意識してこの一言を告げる。
「例外とは――仏陀だ」
「仏陀ならば、この塔に触れることが出来る」
仏陀――と、セフィロスは声には出さずに、口だけを動かした。
粒の揃った歯の間から、やけに鮮やかな肉色の舌が覗く。
それはひどく官能的なつぶやきであった。
ブラフマーの塔に連れていってから、セフィロスは劇的に変化した。
その変化は顕著であり、周囲の者は心配したが、心の内を明かさないセフィロスのこと。心配しても見守るしかなかった。
クラウドは毎夜のようにセフィロスの夢へと通う。
ブラフマーの塔に連れていく前は、やってきたクラウド相手にセフィロスは様々な疑問をぶつけ問答をするのが習慣となっていたが、いまは違う。
セフィロスはクラウドの側に静かに座して、何かを瞑想し続けるのだ。
ほんの一言しか言葉を交わさない時もある。そんなセフィロスにクラウドも何も言わない。
クラウドが通い初めて百夜を越えた。
クラウドの感触によると、セフィロスは王子としてではなく、すでに仏陀としての目であらゆる事象を捉えようとしている。
――オレの役目もそろそろ終わりだな。
後はセフィロスが現実世界において、自分の足で目で耳で、最高解脱者としての道を歩んでいくしかない。
そしていつかヒラニヤ・ガルバである彼はクラウドが求める普遍の真理を手に入れるのだろう。
セフィロスの手首に窮屈そうにある腕釧に目をやる。
セフィロスと夢の中でのリンクをやりやすいように、現実でのセフィロスに自分の腕釧を与えたのだが、どうやらこの腕釧も役目を終えるようだ。
クラウドの視線の先で、腕釧が音を立てる。
カランと澄んだ音は、セフィロスの動きに合わせて、乳白色の世界に鳴った。
「クラウド――」
セフィロスがこちらにやってくる。
かなり至近距離までやってくると、静かに乳白色の霞の中に座す。
「かなり以前のことだ。俺が城の東門から出ていくと老人に出会った」
昔の出来事を回想しているのだろう。
セフィロスの眼差しがクラウドを見つめながらも、もっと遠い何かを思い浮かべようとしていた。
唐突とも言える話に、クラウドは黙って耳を傾ける。
「汚く醜い老人であった」
「次の日、俺は東門ではなく南門から城を出たのだ」
すると、
「病人がいた。やせ衰え腐った臭いがした」
「俺はその者の側を通り過ぎていくことが、とても鬱陶しく思えてな。城にとってかえすと、西門から出かけることにした」
「西門から出ると、そこに屍がうち捨てられていた」
小国であるといえども、その城だ。いつもならば屍がこんな所に捨てられるなど、有り得ないのに、セフィロスが出たときは確かに西門の目立つ場所にあったのだ。
屍はまだ新しいもので、忌まわしい何かがじくじくと膿んでいるようだった。
腹の部分がきれいにへこんで骨が剥き出しとなっていた。獣が食べたのだろう。
「次の日、北門から出るとそこに僧侶がいた」
――ルーファウスの仕業だな。
ここでクラウドは察する。
これはセフィロスを仏陀とすべく、ルーファウスが打ったという手なのだ。
生死病苦、人が恐怖と嫌悪する四苦を殊更に見せつけて置いて、その後悟りを開いた僧侶を持ってくる。
そうやって出家となるように促そうとしたのだろう。きっとその僧侶はルーファウスのように、冷たく涼やかに笑っていたに違いない。
「この世にいて剣をとれば天輪王となり、出家すれば聖王となると、俺が赤子の頃、城に訪ねてきた仙人が言ったそうだ」
幼い頃から周囲から繰り返し聞かされてきた話だが、セフィロスは今でも信じてはいない。
「父王は俺を天輪王にしたがった。俺は僧侶とは極力会わぬようにして育てられたのだ」
だから、
「俺はその時初めて僧侶というものを見た」
「――僧を見て、王子、お前はどう感じた?」
「傲慢だと思った」
それは問いかけたクラウドにも、そしてそうやって見せつけたであろうルーファウスにも、完全に予想外であった。
「病に苦しみ老いに悩み、死してもなお無惨に扱われる現実が、すぐ側にありながらも、ああやって一人だけ高みから見下ろすように、さも自分だけは無関係だというような顔をして――」
「俺はバラモンのことは知らぬが、」
「バラモンとは、己が得た悟りを、人を救う為に使うのが本分だと考えている」
「あの北門で出会った僧侶はそうではなかった」
「あれが僧侶ならば、僧侶とは王よりも傲慢な生き物に違いない」
セフィロスの言葉にクラウドは己を押さえきれなくなる。
身を捩りクラウドは爆笑した。
は!は!は!
滅多と表情をださず淡々としているクラウドのいきなりの大爆笑に、セフィロスは驚くしかない。
乳白色の霞にクラウドの笑い声が響く。
――ああ、これが笑わずにいられるか!
――さすがはヒラニヤ・ガルバだ。大梵天の知略などあっさりとまたぎ越えているではないか!
ルーファウスがセフィロスの仏陀への覚醒を促す為に労した作が、かえってセフィロスの覚醒を阻んでいたとは。
最高の英知を誇る神王大梵天ともあろう者が、まさかこういう結果を引き起こすとは考えもしなかったに違いない。
自分の策がセフィロスの覚醒を阻んでいたとルーファウスが知ったのならば、彼はどういう反応を示すだろうか。
あの超然とした物腰が、どう変化していくのか。
――是非見てみたいものだ。
という好奇心も強いが、同時に、
――それすらもルーファウスの計画なのやも知れぬな。
とも思う。
それ程までにルーファウスは、考えの読めない天なのだ。
対であるザックスもルーファウスの真意は読めないのだと言っていた。
どういう形にしろ彼を侮ることは出来ない。
だとすれば、
――オレも王子もルーファウスの掌の上で踊っていただけなのだろうな。
だがそれすらも無性に可笑しくて、クラウドは笑いの衝動が止められないのだ。
初めはクラウドの爆笑に驚くだけだってセフィロスだったが、そのうちに笑いの衝動がうつってきたようだ。
「…ふふ、あははは――」
苦笑から微苦笑に。微苦笑から微笑に。微笑から笑いに。笑いから声をあげた爆笑に。
セフィロスもクラウドと同じように、感情を露わにして笑い続ける。
普段はあまり酷使していない表情筋が、大きく働く。
ここまでくると、セフィロスはクラウドが、クラウドはセフィロスが、互いが互いの爆笑している様子までもが可笑しくなってきて、のたうちまわって笑い転げる。
二人の笑い声は乳白色の霞にユニゾンした。
暫くの間、この笑いは続いた。
涙まで滲み、腹筋までもが痛くなってきて、ようやく笑いは静まってきた。
いつの間にか二人の距離はかなり近くになっていた。
顔と顔が、やけにくっついている。
クラウドの瞳の青とセフィロスの翠が、見事に合わさった時、ごく自然でさりげない動作でセフィロスの大きく美しい手が、小さく尖ったクラウドの顎に掛かった。
目はどちらも閉じない。呼気、ひとつ分ほどの短い間、非天とヒラニヤ・ガルバ二人の唇が合わせられる。
触れ合って、離れて、再び触れ合って。
どうして?とはどちらも問わない。
蜂が蜜を吸うように、セフィロスはクラウドの薄紅色の唇の合わせ目に吸い付く。
元より半裸の二人。触れ合うのは容易い。
クラウドは武人としての興味もあり、逞しくも完璧な造形美を持つセフィロスに触れていった。
掌で何度も何度もシルエットをなぞるようにしていると、セフィロスが金色の髪の間をぬって、少し尖った耳までしゃぶってきた。
「クラウド――」
しゃぶりながらクラウドの名を吹き込んでくる。
「お前、妻はいるのか」
「いいや…いないが」
「子はいるのか」
「養い子はいる」
こうして会話をしている間にも、二人の手は止まらない。
仰向けに横たわるクラウドの上に、逞しいセフィロスが乗り上がってくる。
これは愛撫と呼ばれるだけのものなのだろうか。セフィロスは額の生え際から順々に下へと、クラウドを舐め回している。
額が終わると眉を。次は目を。青い眼球までもそっと口づける。
つんと尖った鼻の頭を軽く噛むと、次は舌全体で頬を舐め回す。
唇の輪郭線を辿り口内へと。顎、首、喉仏も軽く噛まれた。
肩までいくと、腕を一本一本とられて、指先から腋の下まで。
小指の先ほどの大きさもない小さな乳首を、懸命に吸ってくる。まるで乳を求める赤子のように。
「養い子は男か女か」
「女だ」
「名は」
「舎脂――」
いや、これは阿修羅族の外での呼び名だ。
彼女が生みの母から贈られたのは、
「エアリスと言う」
神王と非天という立場の違いを越えながら、友好関係を結んでいるクラウドとザックスであるが、二人の関係が上手くいっているのには、エアリスの存在も大きい。
どうやらザックスはエアリスに並々ならぬ想いを抱いているらしく、養父であるクラウドとしては、見守るしかないというのが現状なのだ。
そんなことを考えている間にも、セフィロスは行為を進めていく。
背中を舐められた後、裳を解かれた。薄い下着も一緒にとられてしまい、クラウドは身につけている装飾品以外生まれたての裸となる。
人の交わりと天族との交わりは似ているようでやはり異なる。
天族としての格式が高ければ高いほど、人のような肉の交わりは必要なくなるのだ。
最高位の天部ともなると、見つめ合い微笑みを交わすだけで、官能を共有できる。
もちろん人と同じように交合することもあるが、あくまでも精神的な共有を大切にしていくもの。
クラウドも清童というのではないにしろ、人と同じような交合は経験したことがない。
このように全身をまさぐられて舐められるというのは、未知である。
性器を握られて初めての種類の快楽を感じながらも、心は穏やかに開かれていく。
それがセフィロスの経験が豊富だからなのか。
それとも彼が仏陀となるべき者だからなのか。
ヒラニヤ・ガルバだからなのか。
クラウドには判じられない。
セフィロスとクラウドは、人と非天という全く別の種であるのだから、性別にこだわるのは無意味なのであろうが、それでも同じ男と男の造りをしていながら、男と女のように触れ合っているのは何故なのか――それすらもクラウドには解らない。
目の前にあるセフィロスの逞しい筋肉のうねりに掌を添わせるながら、セフィロスの股間が視界に入ってきた。
猛々しく勃起した性器は、クラウドのものに似ているが、やはり全然別のものに思えてならない。
勃起をじっと凝視するクラウドの関心を、セフィロスが逸れさせる。
「俺には正妃も妾妃もいる」
「子もいる」
セフィロスに妻も子もいることはクラウドも知っている。
「どんな美姫も、どの子にも、俺は触れたいと思ったことはなかった――」
女とは数え切れないくらい交わってきた。
可憐な処女とも。妖艶な娼婦とも。駆け引きを身体で申し出てきた女も抱いてきた。
あくまでもセフィロスにとっての交わりとは、肉体のみの刹那であり、情など感じたことはない。そもそも妻も子もどうでも良かったのだ。だが、
「クラウド。お前には触れたいと感じるのは何故なのだろうな」
――さあ…
――オレがお前に触れられるのが心地よいのは、何故なのだろうな。
「クラウド。教えてくれ」
「非天であるお前と夢以外でどこで会えるのだ?」
「神々が住むという兜率天ならば会えるのか」
尻の狭間が押し開かれていく。
熱く硬い肉の塊が、じわりじわりと体内に押し入ってくる。
無垢の場所に強引に押し入ってくるのだ。痛みを感じないのではないが、痛みだけではなく不思議な充足感があった。
「解脱すれば会えるのか?」
「会えるだろう…」
「解脱すれば人の身でも兜率天に辿り着けるだろうか?」
「辿り着けるだろうな」
セフィロスの背中に手を回す。
広い背中はすでにしっとりと汗で濡れていた。
「王子よ――オレはずっと求めているものがある」
「それは、お前にしか探せないと聞いた」
「俺だけ…」
「そうだ。王子、オレが欲しいのは“普遍の真理”」
「それはたぶんとても近い所にあるのだと思う」
「誰でも持っているのだと思う」
「だが、オレには探せない」
「兜率天まで探しに行ったが、そこにもなかった」
大梵天ルーファウスも、帝釈天ザックスも知らなかったし、持っていなかったのだ。
「王子、お前ならば答えを探し出せる」
「探し出した答えをオレに差し出すことが出来る」
身体をひとつに繋げながら、ゆっくりとセフィロスが笑う。
「わかった、約束しよう。クラウド」
セフィロスがする、これは初めての約束だった。
「俺がもしお前が求める真理を手に入れることが出来たならば、迷わずお前に差し出してやろう」
「ありがとう――セフィロス」
口づけを交わしながら、セフィロスの動きが更に熱を帯びていく。
頭の中で何かが弾けたのを見ながら、クラウドはこの王子は必ず仏陀となるであろうと確信する。
動きが頂点になって、そして止まった。
クラウドは己の体内にじわりと広がっていく熱を感じていた。
黄金の胎児、ヒラニヤ・ガルバが阿修羅王クラウドと繋がった瞬間であった。
それはどこか遠く懐かしい甘い感覚である。
阿修羅王クラウドが夢に訪ねてこなくなってから数ヶ月後、12月8日の夜半、セフィロスは王宮を抜け出し、悟りへの長い長い旅路に出た。
セフィロスの現世での旅路の終わりは紀元前386年ヒランニャバッティ河のほとりである。河のほとりにあったサーラの林の中で入滅。
その遺骸は火葬されて舎利は8つに分けられたと伝えられている。
セフィロスは悟りを得て仏陀と呼ばれるようになったが、彼が兜率天に到達出来たのか、何よりも非天阿修羅王クラウドに再び出会えたのかは、どの文献を探してもどこにも記されてはいない。
END
※宗教的表現や神様仏様が登場していますが、あくまで物語ですのでそのあたりよろしくお願いします。