わたしの作る酢豚は絶品で、局地的アイドルだったりする。
彼氏から会社の同僚、アパートの大家さんまで
「美味しかったわ。また作ってね」
と大評判で、とても嬉しい。
レシピを教えてねともよく言われるのだけど、これがどうしても無理なのだ。
その店は港の側の肉体労働者の多い町にあった。
いわいるガテン系お約束の店だ。
海賊のようにしか見えないガラの悪そうなおじさんやお兄さん達がいつも店にはいっぱいいて、賑わっていた。
わたしの家は貧しかったから、外食なんて特別のことだったけど、その店はとても安かったから父がよく連れて来てくれた。
小さな子供なんかが来るような感じの店ではなくて、咥えタバコで、ラム酒なんかを頼みつつ、塩をつまみに一杯ひっかけるのが似合うようなそんなお店だったのだけど、ともかく、ここの料理は何を食べても美味しかった。
街にある高級レストランになんか入ったことはなかったけど、きっと何処よりも美味しいはずだと小さな子供だったわたしにすら思わせてしまう味だった。
どう表現したらいいのかわからないけど、ここの味がわたしの中で美味しいの基準になったことは確かだ。
そしてこの店を基準にすると美味しいのハードルはとても高くなり、ここより美味しいとこなんか殆どなくなってしまうことに大きくなり一人で外食が出来るようになる頃に知った。
わたしは子供の頃、ピーマンもにんじんもたまねぎも好きじゃなかった。
でもこのお店の野菜は本当に美味しいのだ。
酢豚に入っているごろごろした野菜も店独自のあんに絡まって口の中でシャッキリしながらも甘酸っぱくて美味しい。
ここのおかげで野菜嫌いが直ったようなものだ。
今も思い出すだけで、口の中に涎が溜まって胃がきゅうっとなってくる。
もちろん酢豚だけじゃなくて、チャーハンだって、野菜炒めひとつとっても美味しかったし、カツ丼や、から揚げとか定食みたいに、焼き魚にご飯にお味噌汁なんていうメニューまである面白い店だった。
もちろん、なんとかかんとかとやたら長くて舌を噛みそうになる料理まであって、このお店に無いメニューはないんじゃないかって思うくらいになんでも食べさせてくれるお店だった。
日焼けして、面白い形のズボンを穿いたおじさん達に混じって、父は本当によくここに連れて来てくれたから、わたしは店のメニューを片端から食べつくしていた。
店には店員は1人きりで、いつでもテーブルもカウンターもいっぱいなのに、クルクル良く動くお兄さんが仕切っていた。
何度も言うけど本当に小汚い感じのお店なのに、お兄さんは絵本で見たような王子様のみたいな人だった。
なにしろ髪の毛が金色で目が青い。
そして黒いスーツ姿なのだ。
白い馬には乗ってなかったけど、どきどきするくらいに素敵だった。
ただ眉毛が巻いていなかったらなんだけど。
王子様のような見かけと違ってお兄さんは口を開くと怒鳴ってばっかりでとても怖い感じだった。
お店のお客さんのガラの悪い人たちに負けてないばかりか、もしかしたら一番口嫌いかもしれないくらいの迫力だった。
だけど、わたしがお店に入ると、どんなに店が混んでいてもカウンターから飛び出して、わたしの席を作ってくれる。
「小さなレディようそこ。何になさいますか?」
優雅にお辞儀をしながら、ぎしぎし音を立てる椅子を引いてくれる。
お父さんにはテメエは何にするんだ?と凄むのに、わたしのことはまるでお姫様のように扱ってくれる。
良く見ていると、稀に来る女の人にはめいっぱいデレデレとしていて優しいのに、男の人には容赦ないようだった。
いつも見かける緑の髪のお兄さんなんかは何度も蹴り込まれていた。
ふっとんじゃうくらいの蹴りだから最初に見た時は驚いた。
でも、どんなに吹っ飛ばしても計算されているのか、狭い店内の隙間を飛んで行くから食べている料理が台無しになることもなかった。
それがわかるとわたしは安心してゆっくり食べることが出来た。
父はその様子も面白がっていたと思う。
「さすが元海賊だ」
とか
「あの麦わらの胃袋を支えていただけのことはある」
なんて言いながら感じ入っていたけど、
わたしにとってお兄さんは美味しい料理を作る王子様だった。
「小さなレディ今日の料理はどうだったい?」
食事が終わると必ずおにいさんは聞きながら素晴らしいデザートをわたしの前に置いてくれた。
一番最初にお店に連れて行ってもらった時に、デザートが置かれた時、父は焦って頼んでないと言った。
うちは貧乏だったから、この安いお店でもデザートを頼むなんて贅沢は出来ない。
みたこともないような綺麗な桜色のケーキにアイスクリームのたっぷり乗ったお皿はキラキラ輝いていたし、甘い香りに喉まで唾が込み上げたけど、わたしは膝の上で手をぎゅうっと握り締めたまま我慢した。
「テメエにやるんじゃねぇよ。こちらの小さなレディへのサービスだ。どうぞお姫様」
優雅にサーブされて皿が目の前に置かれた。
それは本当にお姫様が食べてもおかしくないようなデザートだった。
言葉も出なくて見上げるだけのわたしにお兄さんは下手糞なウィンクをしてみせる。
慌てて父を見れば頷いてくれるから、そっとスプーンでアイスを掬った。
口の中で冷たいアイスが溶けてゆく。
「美味しい」
溜息と一緒に小さな呟きが洩れた。
「それはよかった」
お兄さんはニッコリ笑うと背中を向けてまたカウンターの中へ消えてしまった。
以来、食後になるとわたしにはいつも素敵なデザートが置かれた。
ある時のことだ、わたしがキラキラと宝石のように輝くデザートのクリームをひとさじ、ひとさじ大切にすくっていると、入り口が騒がしくなった。
そっと振り返ると、お兄さんとおじいさんが押し問答をしている。
普段の喧騒とは違う雰囲気に店の中が静かになり二人のやり取りが聞こえて来た。
「俺を馬鹿にしやがんのか、金なら持ってる」
おじいさんは顔を真っ赤にしながら怒鳴っていた。
貧しい身なりをした人はこの辺りでは珍しくもないけど、そんな人たちを見慣れたわたしにもおじいさんの様子はとても貧しそうに見えた。
「金ならあるんだ」
おじいさんはくしゃくしゃになったベリー札を投げるようにテーブルに出して見せる。
それでもお兄さんは黙っていると、おじいさんがいきなりお兄さんに掴み掛かった。
わたしはビックリして慌てて緑の頭のお兄さんを探すと、彼は面倒臭そうな顔をしただけで平然としている。
どうしようとドキドキしながら父の方を見ても、お店の人たちを見回しても、みんな何が起きているのか知っているのに、平気な顔をして料理を食べているだけだ。
どうしてなんだろうと、お兄さんが強いのは知っていたけど心配で目が離せないでいると、お兄さんはおじいさんの掴んでる腕にそっと手を乗せると、テーブルの上に乗った皿を押し出している。
あのお皿は見覚えがある。
ここの隠れた人気メニューのコンソメのスープだ。
おじいさんは一番安いスープを出されたから怒ったのかしら?
じっと見ていると、お兄さんがもう一度お皿を押し出しながら、冷める前に飲めと優しい声で伝えている。
おじいさんはしぶしぶと言ったようにスプーンを持つとひとさじすくって飲み込んだ。
最初はゆっくり飲んでいたのに、どんどんそのスピードが上がって、最後はお皿に口をつけて勢い込んで飲み込んでいる。
急ぎすぎてむせてしまったおじいさんの前の空のお皿を下げながら、お兄さんが待ってろと言い置いた。
少しするとまたお兄さんは同じようなお皿を持って来た。
そしてそっとテーブルに置く。
「ゆっくり食え。何度も噛むんだ」
どんなものかわからなかったけど、スプーンから零れた色で多分トマトを使ったスープなんじゃないかって思った。
おじいさんは一口飲むと、そのままボロボロと涙を零し始めた。
わたしはおじいさんのように歳を取った人がボロボロと泣くのを生まれて初めて見たからビックリしてしまった。
目を丸くしたわたしの様子を見た父がポツリと
「故郷の味だな」
と呟く。
「故郷?」
意味がわからなくて聞き返すと、父は優しい目で頷きながらひとりで納得して答えてくれない。
もう一度聞き返そうとしたら、父に溶けちゃうぞと注意され、わたしは大慌てでデザートに向き合い直した。
今日のアイスも美味しい。
背中の方からお兄さんの声が聞こえる。
「随分食ってなかったんだろう?こんなもんだが栄養はあるし消化はいいからまずはゆっくり食え」
「オマエさんはノースの出か?」
「一応な。懐かしいだろう?」
「ああ風邪を引くといつだってこいつが出てきた」
「そりゃよかった。食って元気つけてくれ」
お兄さんが笑っているのが空気でわかる。
そうか、故郷の味ってそういうことか。
それから何度か同じようなことがあった。
ここは港町だったから、海で時化にあったり事故にあったりで、食べるものも食べれずボロボロになって寄港する船が時々ある。
そういう船の面倒は漁船組合の人たちが助けていたけど、料理はお兄さんの担当だった。
そしてお兄さんはどんな人たちの故郷の味も再現してしまうのだ。
いかつい怖面の男たちがお兄さんの料理を食べながらオンオンと声に出して泣くのを見ても驚かなくなるくらい。
何度も見た。
お兄さんは王子様でもあったけど、はやり凄い料理人なんだとあらためて思った。
そんなお兄さん出す料理はどれも美味しかった。中でも一番は酢豚だ。
だから大人になってから、あの味を想い出しながらいつも作っている。
ケチャップを少し足した方がいいかな?
醤油も入れたらもっと似るかもしれない。
そんな感じだったからレシピなんかは作れないのだけど、酢豚だけは研究を重ねたせいかあの味に限りなく近くなったと思う。
そんなわたしの酢豚は身内の間で局地的アイドルなのだ。
「本当に美味しい」
と言いながら笑顔で食べてくれる人たちにわたしは胸を張ってあの店の話をする。
「ものすごく汚くてね、貧乏っちいお店なんだけど、清潔感はいっぱいで、食べてる人たちも乱暴そうで怖い感じなんだけど、お兄さんの料理を一口食べるとみんな子供のような顔になるのよ。でねオンオン泣き出して母ちゃ〜〜んなんて叫びながら抱きつく人も居るの」
あの店の話しもつけるとみなは非常に受けてくれるから気分がいい。
「でね。ぎゅうぎゅう抱かれながらお兄さんは容赦なく蹴り上げて、野郎が寄るんじゃねぇって怒鳴るのよ」
本当にね男の人には容赦ないの。
「でもね、時々あまりのウェイトの違いに押しつぶされちゃったりすると、今度は緑頭のお兄さんの登場で、やっぱり容赦なく引き離して放り投げるんだけど、そうすると、お兄さんは真っ赤な顔して怒るの」
「助けてもらったのに?」
「そうなの。助けてもらったのに、これじゃ奴が俺様の素晴らしいメシが食えねぇだろうって今度は緑頭のお兄さんを蹴り上げるの」
ふふふ。と笑いながら話す。
わたしの得意料理の酢豚を振る舞いながら田舎の話をする時、切なくてでも嬉しくて大事な大事な宝物だ。
今でも田舎に帰ると1番にあの店へ行く。
定期便の船を下りると一番に見えるお店。
その色あせた壁を見つけると何処か帰って来たんだとほっとする。昔と変わらない場所にあって、汚くて狭いのに、何処よりも素敵な変わらない場所なのだ。
変わらない場所の唯一変わったとこといえば客層が増えたこと。女の人のお客さんや家族連れも平気で扉を開けるようになった。
いかつい男たち御用足しの感の強かった店だったから入るのに躊躇していた街の人たちもこの味には叶わなかったに違いないと思う。
そう思うとわたしの手柄でもないのに誇らしく思えた。
お兄さんはあの頃と変わらない笑顔で、女の人はお姫様のように扱い男の人には用がないって態度で、でもみなに同じようにとびきり美味しい料理を差し出す。
変わらない所かどんどんと美味しい味になる。
大人になってこの土地を離れると、ますますこの味が懐かしくて、ここの料理を食べると帰ってきたんだなぁと思うのだ。
わたしには母が居なかったから、このお店がお袋の味ってヤツなのかもしれない。
ガラの悪いお客さんたちも久しぶりの陸に上がり、港のすぐ側のこの店に入り、一口料理を食べると、懐かしくて美味しくてちょっぴり切なくて、そんな気持ちになっていたのかもしれない。
いつでもそこに在ってくれるそんな宝物のような場所。
不思議とふけることのないお兄さんはいつになってもわたしの特別な王子様だったし、おにいさんもわたしが行けば笑顔で迎えてくれる。
帰って来たんだなぁとほっとする。
一番変わったのは緑の頭のお兄さんへの態度かもしれない。
昔みたいに蹴り上げたりしないで、時々耳元に優しく何か囁いている。
今でも居るってことは仲の良い友達なのかもしれない。
名前も無いお店だったけど、オールブルーの港町にあるこの店のこっそり一番弟子は自分だって思ってる。
今度わたしの作った酢豚を持っていったらお兄さんはどんな顔をするだろう?
きっと少し驚いた後、とびきりの笑顔になるってそう思う。
そんなことを考えながらわたしはいつだってあの味を思い返している。
いつでもそこの在るあの場所のことを―――。
おしまい
‖旧サイト閉鎖時に限定で上げていたお話でした ‖