関東が入梅宣言した日に俺はゾロと寝た。
「EASTで買ったのよ」とレディがくれた紺色のザックには緑の刺繍で自由の女神様。
女神様はレディなわけだしご機嫌だ。
緑の刺繍がちょっとだけひっかかったけど、彼女のくれた鞄を愛用して3年目。
ちょっと擦り切れた女神様を眺めながら、ケツの穴の痛さに大きく溜息を吐いた。
アイツの手はごつごつと硬かった。
マメが潰れて、その上に更にマメを作って、潰して、最近じゃマメも出来ない丈夫な手のひら。
ちんまい頃から竹刀を握る手の皮がずりむけようが、血が出ようがアイツは泣いたこともねぇ。
それだけはちぃっとばっかりすげぇなと思ってる。
じじぃの手もごつごつで硬い。
一生懸命に生きてきた手だ。
その手で美味いものを作って、俺を育ててくれてる。
尊敬出来る手だ。
悔しいがアイツの手も必死に練習して練習して練習しまくって硬くなったごつごつの手だ。
自分の手のひらを出してそっとひらいて比べると情けなくなるくらいに俺の手は綺麗だ。
ちんまい頃はアイツだって俺と変わらない手してたのになぁ。
悔しいと憧れっていうのは紙一重で裏表なんだって、俺はアイツの手を見てはじめて知った。
その手が俺に触れる。
優しくて、そして壮絶にアイツの手はエロかった。
硬い手なのに、触れられた箇所が溶けそうなくらいに熱を持ち、そして言葉より雄弁に動く指に翻弄された。
完敗だ。
「雨上がったな」
「だな」
屋上のフェンスによじ登りながら、どう反応していいのかもわからずに、雨上がりの町を見下ろす。
「部活いかねぇでいいの?」
「よかねぇな」
「そっか」
「オメエこそ店の手伝いはいいのかよ」
「いくねぇな」
「そっか」
弾むわけもない会話は、本当に言いたいことを言えないでいるからだ。
でも何をどう言えばいいのかもわからねぇ。
生まれた頃から一緒に過ごしてお神酒徳利と言われた仲なのに、
肝心なことなんかちっともわからねぇ。
雨に濡れた手が伸ばされた瞬間に沸騰しそうになったこととか、
10年ぶりくれぇに呼ばれた名前がすげ掠れてて、アイツが名前を呼ぶたびにゾクゾクしたこととか、
ちくしょーと呟いたアイツの目に俺がどう映ったとか、
アリエナイような声が俺の口から飛び出したこととか、
もうどうしようもなくグダグダで顔なんか見れねぇ。
「逃げんなよ」
「あん?なに、突然」
「テメエは都合悪りぃとすぐ逃げるからよ」
「あんだとぉ。俺様は敵に後ろは見せねぇ」
「俺は敵じゃねぇぜ」
「!!」
「逃げるなよ」
鈍い癖にこんな時ばっかりに鋭いアイツが心底嫌だって思う。
うんざりした顔して振り返るといつの間にアイツが隣に並んでいる。
俺を見ないで空を眺めながら、
「俺は逃げねぇからテメエも逃げるな」
真っ直ぐ迷いのない面してそんなことを言う。
なんだか鼻の奥がツンとなって、悔しくて、返事の代わりに尻が痛てぇと呟いた。
振り向いたアイツが困った顔をしたから、俺はへへへっと笑った。
夏はもうすぐそこまで来ていた。